3月25日、最後の望みの綱であった宮古湾での奇襲作戦も僅か30分余りで敗戦を喫し、機関故障で速度の出ない高雄丸を身代わりに何とか函館に戻った満身創痍の回天であったが、勝負は決していた。
後は、いつまで持ちこたえるか?


4月9日 砲台のある江差北部の乙部に新政府軍1500名が上陸。
海からは春日丸を始めとする艦船からの砲撃が行われ、陸からも攻撃、戦力に勝る新政府軍が江差を奪還。
4月15日 海軍参謀黒田清隆率いる約2800の兵も江差に上陸。
甲鉄、春日による海上からの砲撃も効き、陸上戦は新政府軍の圧倒的優勢で進んで行く。

4月28日 青森から2000の兵がイギリス艦で運ばれて南部福島に上陸すると、大鳥、榎本といった幹部クラスも指揮を執り応戦するが既に崩壊している軍は脱走兵も多くなり函館へと敗走する。

一方、内陸部で孤軍奮闘していた土方軍だが新政府軍が函館に迫っているとの情報にやむなく撤退、最期の地となる五稜郭へと向かう。

5月に入り、新政府軍が函館へ向け進軍。
6日には函館湾内に軍艦も入り、総攻撃を11日と定める。

11日 午前8時過ぎから始まった戦闘では、圧倒的な戦力と市民が案内した絶壁を登り函館山を制圧した新政府軍の山頂からの攻撃であっと言う間に市内を占領。
防戦一方の旧幕府軍は、脱走兵も多くなり敗走。
最後の手段とも言える籠城戦へと追い詰められた。


久留米藩の出身で医学を学びパリ万博に同行、そのまま留学して帰国後、一橋家から将軍家、その流れで榎本に請われ函館へ赴任。函館病院院長となっていた高松凌雲。敵味方分け隔てなく赤十字の精神で治療。呉越同舟の診療所で非難を浴びるも毅然と対応して治療に当たった態度に兵士も従うしかなかったようです。

彼がパリで最も衝撃を受けたのが、貧民病院と呼ばれる貧しい人々に無料で治療を行うシステムでした。
貴族や金持ち、政治家の寄付で経営できたというのですから、現在の日本の政治家や一部の富裕層にも見習って欲しい気もしますが…。

復興に名を借りた増税に消費税増税。
おまけにTPP参加まで決める勢いで、保険崩壊になると、歯の治療ですらザラに10~100万かかるとさえ言われています。
会社の利益は従業員の利益に非ず?の精神で内部留保金だけを溜め込み、安い労働力で奴隷紛いの作業に従事させる大企業。
日本版国民の財政の絶壁の序章が始まっています…。
英仏領事に事実上の政権として認められ日本初の選挙を敢行、占領地函館を中心に政権を運営して行った榎本政権。
財政難により不条理な取り立て(増税)を行い人心は離れ、江差攻略に使用した旗艦開陽丸は座礁し沈没。
更に明治2年2月 アメリカ南北戦争の為に造られた当時最新鋭のフランス製軍艦「ストーンウォール号」を『甲鉄』として新政府側が購入。(元々幕府が購入しようとしていたが、政治的混乱と財政難で断念)
一気に海上戦力が逆転し明治政府側の圧倒的優位となる。

3月 榎本軍に参戦していた元フランス海軍一員のニコールの、「(開陽丸没後に旗艦となったプロイセン製の軍艦)回天での奇襲による甲鉄奪取」と言う作戦を回天艦長の甲賀源吾や海軍奉行荒井郁之助、フランス軍事顧問団のブリュネ、そして榎本も受け容れ、
21日未明 宮古湾に停泊中の甲鉄奪取に回天、高雄、蟠竜の3艦で函館を出航する。
途中、暴風雨で蟠竜とはぐれ2艦で決行となり、
24日深夜 遂に決行と相成ったのだが…。
出航後、先の暴風雨で機関故障を起こしていた高雄の機関がまたしても故障し回天単独での突入となる。

アメリカ国旗を掲げ、まんまと甲鉄に近づいた回天は接舷直前に日章旗に変えて接近、奇襲は成功した。
ところが、舷側に水車が飛び出るなど構造上の欠陥で横付け出来ず、艦長甲賀源吾の必死の操艦にも関わらず船首が甲鉄の船腹に乗り上げる形で突っ込んでしまう。
しかも、大型で非装甲艦である回天の船首と小型で重装甲艦である甲鉄の甲板の高低差約3m。
何とか飛び降り斬り込んで行く兵士よりも、甲板上でガトリング砲(機関銃砲)に狙撃される兵士の数の方が多いという始末で、いち早く奇襲を察知した随艦の春日丸(薩摩藩籍で若き東郷平八郎も乗船)始め、周囲の政府艦隊の恰好の標的となり集中砲火を浴び、遂には腕や胸に銃弾を浴びていた甲賀源吾も戦死してしまい、奉行の荒井が自ら舵を取り船体を引き離し宮古湾から脱出。
甲鉄の甲板上で逃げ遅れた兵士は憤死してしまった。


後に東郷は、この奇襲を『意外こそ起死回生の秘訣』と語り、無茶な作戦にも奮闘した甲賀を誉め称えたそうですが…。



2013年の日本丸。
全く説得力のない無茶ブリでTPP参加を表明しようと焦るアベ首相。
味方であるはずの国民もいざとなったら見殺しにするのは言うまでもありません。
撃たれても最後まで戦い抜く艦長でないことだけは確かなようで…。

あの日から2年と言うことで、
いろんな人がいろんな思いを綴ることでしょう。
心のバランスを保つ為に、忘れることも必要です。
でも、今日だけは思い出しましょう。
あの時、何が起きていたか?
あの時、何を考えていたか?
日本中の人の心を突き動かした、あの出来事は、一生消え去ることはないでしょう。

これから、何ができるか?
これから、何をすべきか?
喜びも悲しみも、
笑顔も涙も、
誉めることも謝ることも、
今しかできないことです。
時間は待ってはくれません。
今、できることは、今のうちにやっておきましょう。
明日に回すと後悔するかもしれませんから…。