南北戦争真っ最中の1863年

当時、鉄道や主要道路の交差点として重要な都市であったゲティスパーク。
この重要な拠点を制覇する事が戦局を左右するとは分かっていたものの、あまりの利便性に大規模な戦いになる事が予想された為、当初は南北両軍とも意図的に?この地での戦いを避けていた。
6月3日 いつもの小競り合いが起き両軍とも兵を派遣、衝突を繰り返すようになった。
7月1日 午前5時
南軍の歩兵が北軍の騎兵を射撃、いつもの小競り合いが始まる。
ところが、便利が良すぎた為か、両軍とも大規模な兵が集結し戦いも大規模に発展してしまう。

当初は、南軍の優勢で進んでいたものの、3日に渡る戦いで、北軍は侵攻を食い止める事に成功。
両軍合わせて5万人にも及ぶ死傷者を出した白兵戦は、人的資源に劣る南軍に大きな痛手をもたらし、その後の戦いにも影響を及ぼす事となる。(食糧も満足に支給出来ないばかりか、奴隷を10人以上保有もしくは監督している市民は徴兵を免除という不公平な南軍は脱走兵が続出、一か八かの賭けだったとも言われている)


それから4ヶ月後の11月19日。
甚大な戦死者を祀る為に、隣接するエバーグリーン墓地の後継として買収され国立戦没者墓地として生まれ変わったゲティスパーク。
ハーバード大学学長や国務長官を務めたエドワード・エヴレットの2時間に及ぶ大演説の後を受けてスピーチを行った人物が誰かはマイクもない時代で、演説者の声も小さく誰も気付かなったが、
わずか2分間の演説をたまたま書き留めていた記者が記した記事は後に大きな波紋を呼ぶ。

そのスピーチの最後の一節。
government of the people,by the people,for the people.
演説者リンカーンは、このスピーチで敢えて、Citizen国民ではなくPeople人民、Union合衆国ではなくNation国家と言っています。
戦争中の南部諸州に配慮して、北部合衆国でも南部連合国でもない全てのPeopleと言いたかったのです。

約80年後、マッカーサー(GHQ)が織り込んだ日本国憲法草案。
その前文はそのまま和訳され、憲法前文の一部になっています。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」

我々は福利を享受出来るはずなんですけどね…。
一か八かではありませんが、
2択というのは非常に危険なモノであります。
他に選択肢が有るにも関わらず、
視野が狭くなってしまったが故に、
Dead or liveな危険を冒すと大抵悪い方の目が出るもので…。

1860年11月 米大統領選で争点の1つになったのが「奴隷制」。
当時、農業などでの大規模生産方式によるプランテーション経済中心に労働力が不足、安価な黒人奴隷で利益を膨らませ、更なる利益を求めて自由貿易を望んでいた南部。
1812年から14年にかけての米英戦争により工業製品を自前で賄わざるを得なくなり、それによって工業化が促進、欧州との競争力で優位に立つ為に保護貿易を望んだ北部。
経済(カネ)を巡る両者の思惑の違いは対立を生み、
これに、度重なる戦争で財政難に陥っていたナポレオンからフランス領であったルイジアナを買収した事で南北の政治バランスが崩れ、北部が断然優勢になり対立が決定的となります。

結局、大統領選は、奴隷制の拡大に反対していたリンカーンが当選。
奴隷制を失いたくなかった南部は、
12月にサウスカロライナ州が連邦からの離脱を表明すると次々に離脱。
61年2月4日
7州によるアメリカ連合国の結成にまで至ります。
3月4日 リンカーンが大統領に就任すると、4月12日 テンパった南軍は北軍が陣取るサウスカロライナ州チャールストン港サンター要塞を砲撃、南北戦争が始まってしまいます。

この時点で北部の人口は約2200万(兵力400万)人に対し南部は奴隷400万人を含めて約900万(兵力100万)人。
既存の政府組織が存在し中央集権的な政治体制が確立。意思決定もスムーズな北軍に対し南軍は、各々の州が「俺が俺が」と主張し合い、連合国大統領に任命されたジェファーソン・デイビスも取り纏めに苦労していたようですから既に結果は見えていたのかもしれません。

当初は3ヶ月で終わらせるつもりだったリンカーンの意に反し戦争は長期化。
1865年9月 約4年半もの歳月を費やしやっとの事で終結しますが、
最終的な動員兵力は北軍156万人、90万人で両軍合わせて62万人の死者を出した史上最悪の戦争となってしまいました。

62年9月に出された「奴隷解放宣言」により、南部で奴隷となっていた黒人は解放されますが…。


誰それの失言に限らず根強く残る差別や偏見。
我々に今必要なのは、「ココロ」を解放させる事なのかもしれません…。
To you~梅~雨~。

この不快指数の高い蒸し暑い日に
のっけから訳の分からないオヤジギャグを書いてしまい、読まれた方には大変申し訳なく思います。
m(_ _)m
どうか、華麗にスルーして、快適な精神状態をイメージして下さいます事をお祈り申し上げます。

さて、いつものように本題からかなり逸脱して、何処へ行ってしまうのか分からなくなる前に…。

五月雨…旧暦の5月に降る雨。
つまり梅雨時の雨の事でございます。
巷では、早くから『アメ(リカ万歳)ノミクス』なる、不快指数MAX的なマネーゲームが一部のご身分の方々の間で流行しているようですが…。


「五月雨を集めて早し最上川」は、1702年の『奥の細道』の松尾芭蕉。
「五月雨は 露か涙か不如帰 我が名を上げよ雲の上まで」を辞世の句として、無念にもこの世を去ったのは室町幕府13代将軍の足利義輝。
1565年6月(旧暦5月)に殺害された時の(死後に誰かが心境を察して詠んだ?)句です。

更に遡る事570年余り。
996年頃、清少納言の『枕草子』にも五月雨が書かれ、
905年頃と言われる『古今和歌集』にも 「五月雨の 空もとどろに郭公 何を憂しとか 夜もただ鳴くらむ」
と詠まれている程に、五月雨と言う言葉は季節の象徴だった?ようです。



湿気が多くなると、雲や空気だけでなく身体もどんよりと重くなるものです。
ジメジメ、ベトベトとした気が体内外にこびりつき血流が停滞、胃腸の冷えによる食欲不振や消化不良、肩こりなど体のあちこちに重苦しい不調和が生じます。
これは水分(血液も)が停滞している為に起きている現象であり、冷たい飲み物をガブガブ飲むと、更に水分代謝が落ちて、益々スッキリしない停滞現象を引き起こします。

では、どうする?
まず食べ物は身体に停滞している余計な水分を排出する効果のあるはと麦やスイカ、キュウリ、もやしなどと、
胃腸機能を高めるカボチャ、大豆、人参などを積極的に摂り、
水分は午前中から昼過ぎまでに摂取して、良く歩く(下半身を動かす)事で体内の水分を排出させるように心がけた方が良さそうです。
植物のように、根である臍から下に水分が行き渡る事をイメージすれば納得していただけるかと…。

因みに私は医者でも学者でもありませんので、信じるか信じないかはあなた次第なんですけどね!
(-.-)y-~~~

「五月雨よ 嫌な事 全部流してよ」
お後が宜しいようで…