されど戦争は終わらず…。
正午からの玉音放送で、
天皇によるポツダム宣言の受諾(敗北)宣言はあったものの、公式に文書に署名したわけではないので、一時休戦状態に過ぎなかった。(現政権や前政権みたいに嘘をついて騙し討ちをする可能性もありましたので正式に署名するまで戦闘はなくとも、戦争は終わってはいなかった。)
事実、8月15日 大本営は軍に対し「命令があるまで現任務を遂行すべし」と命じ
8月16日 「自衛以外の戦闘の禁止」
8月18日 「全面的な戦闘の停止は別に指定する日時以降とする」
8月19日 「第一総軍、第二総軍、航空総軍に対し8月22日午前零時以降の全面的戦闘停止」を指令。
8月22日 支那派遣軍以外の外地軍に対し「8月25日零時以降の全面的戦闘停止」を命令。
その後も、大陸では中国やソ連軍との戦闘(ソ連軍とは北方四島でも戦闘)が続いていたそうです。
1945年9月2日
東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で降伏文書に調印しやっと戦争が終結。(アメリカやイギリスなどは、この日、中国やソ連は戦勝祝賀会の行われた翌9月3日が終戦記念日となっています)
国際法上は、1951年9月8日のサンフランシスコ平和条約調印後の1952年4月28日の条約発効で戦争が終結した事になるそうです。
ポツダム宣言第7条。
『そのような新しい秩序が建設され、また日本国の戦争遂行能力が破壊された事が証明される迄は、連合国の指定する日本国の領土内の諸地点は、ここで指示する基本的目的の達成を担保する為、連合国が占領するものとする。』
降伏文書の署名者のサインの前の最後の文章。
『天皇および日本国政府の国家統治の権限は、この降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる連合国最高司令官の権限の下におかれるものとする。』
今さらですが、この国は占領地だったのです。
独立国ではなかったのです。(今でもその根性が抜けきれていないように感じますが)
敗戦の日、8月15日。
「何でも言うことを聞きます」
という屈辱的な日なんですよね、実際は…。
正午からの玉音放送で、
天皇によるポツダム宣言の受諾(敗北)宣言はあったものの、公式に文書に署名したわけではないので、一時休戦状態に過ぎなかった。(現政権や前政権みたいに嘘をついて騙し討ちをする可能性もありましたので正式に署名するまで戦闘はなくとも、戦争は終わってはいなかった。)
事実、8月15日 大本営は軍に対し「命令があるまで現任務を遂行すべし」と命じ
8月16日 「自衛以外の戦闘の禁止」
8月18日 「全面的な戦闘の停止は別に指定する日時以降とする」
8月19日 「第一総軍、第二総軍、航空総軍に対し8月22日午前零時以降の全面的戦闘停止」を指令。
8月22日 支那派遣軍以外の外地軍に対し「8月25日零時以降の全面的戦闘停止」を命令。
その後も、大陸では中国やソ連軍との戦闘(ソ連軍とは北方四島でも戦闘)が続いていたそうです。
1945年9月2日
東京湾内のアメリカ軍艦ミズーリ号上で降伏文書に調印しやっと戦争が終結。(アメリカやイギリスなどは、この日、中国やソ連は戦勝祝賀会の行われた翌9月3日が終戦記念日となっています)
国際法上は、1951年9月8日のサンフランシスコ平和条約調印後の1952年4月28日の条約発効で戦争が終結した事になるそうです。
ポツダム宣言第7条。
『そのような新しい秩序が建設され、また日本国の戦争遂行能力が破壊された事が証明される迄は、連合国の指定する日本国の領土内の諸地点は、ここで指示する基本的目的の達成を担保する為、連合国が占領するものとする。』
降伏文書の署名者のサインの前の最後の文章。
『天皇および日本国政府の国家統治の権限は、この降伏条項を実施するため適当と認める措置をとる連合国最高司令官の権限の下におかれるものとする。』
今さらですが、この国は占領地だったのです。
独立国ではなかったのです。(今でもその根性が抜けきれていないように感じますが)
敗戦の日、8月15日。
「何でも言うことを聞きます」
という屈辱的な日なんですよね、実際は…。