1812年6月に始まったロシア遠征は、30万人に及ぶ人命と20万頭の馬、大量の大砲や車両までをも失い、ナポレオンの不敗神話と共にカリスマ性も一気に地に堕としめた。
モスクワを占領すれば降伏するだろうという常勝ナポレオンの安易な読みはロシア皇帝アレクサンドルの徹底抗戦と、祖国を蹂躙された人民の怒りを買い、焦土作戦という思いもよらぬ「肉を斬らせて骨を断つ」戦法に戸惑い撤退の時機を逸したナポレオン軍は徒に犠牲者を増やしてしまった。

退却途中の12月には、ナポレオン不在のフランス国内でクーデター未遂も勃発。
慌てて戻って立て直し、翌年再遠征。
勝利は収めるものの、一度完全に狂った歯車が噛み合う事はなく、
1813年10月 ライブツィヒの戦いで連合軍に敗れ、イギリス、ロシア、スペイン、プロイセンのみならず、オーストリア、ドイツまで反フランス同盟として敵に回したナポレオン軍に勝ち目はなく、
1814年 連合軍のパリ侵攻戦によりパリの街を戦場にしてしまい、フランス帝国議会に退位を勧告され、
1814年4月4日 退位文書に署名、地中海に浮かぶエルバ島へと配流された。


かつて、
『吾が輩の辞書に不可能と言う文字はない。』
と豪語していたナポレオン。
生まれ故郷のコルシカ島(意外に近かったから見えたかもしれない)と同じ海に浮かぶエルバ島の小さな邸宅で発した言葉は、表題の回文で(多分、言い回しは誰かが後から考えたのでしょうけど)
『エルバ島を見るまで、私に不可能はなかった。』
と言っていたようです。

妖精を意味するエルバ島で299日を過ごしたナポレオンは、翌年、2月26日に島を脱出。
パリへと舞い戻りますが、再び起こした戦争にも敗れフランスも彼も復活する事はありませんでした。


日本では、
『驕れる平家は久しからず』
と言い、栄枯盛衰、形あるものいつかは滅びるの象徴ですが、ヨーロッパ諸国では大陸で地続きのせいかナポレオンであったり、ヒトラーであったりと、忘れた頃に独裁者が出て来ては征服欲に溺れて世界を思うがままにしようと目論見ますが、やはり滅びてしまいます。

昨年の今夜、芸能界で絶頂だった島田紳助氏が引退会見をした日だそうです。

人生たかだか70年あまり。
あまり欲をかいて無茶を通そうとしても、ほどほどに腹八分で満足しても、
いつかは必ず亡び逝くものです。

地に足を着けて、自分らしく生きて行ければ良いのかもしれませんな
ナポレオンは、ジェファーソン大統領(3代目大統領で、独立宣言起草の中心人物)の求めに応じ、1500万ドルという破格の安値で仏領ルイジアナ(大陸のど真ん中を流れるミシシッピ川流域の15の州)をアメリカに売却した。
ジェファーソンの当初の目論見では首府のニューオーリンズの買収だったのだが、
ナポレオンには、敵対しているイギリスがカナダからルイジアナに攻め込んだ場合にとても守れないだろうと言う読みがあり、長年の戦争での財政難と重なり15州もの売却につながった。

内訳は現金1125万ドル+当時の借入金375万ドル。
200年以上前の話なので価値はかなり違いますが、何とトムクルーズの離婚の慰謝料が1500万ドルで、オバマ大統領に至っては一晩で1800万ドルを集めてしまう(パーティーで)そうですからナポレオンにしてみると(維持費とかも)邪魔くさいから売ってしまうか!と言う事だったのかもしれません。

結果論になりますが、戦費欲しさに安売りしてしまったナポレオンは、勝負事における『流れ』を自ら手放してしまったのかもしれません。
この後、絶頂期を迎えますが、
スペインの独立戦争に敗れ、
ロシア遠征では致命的な敗北を喫し
自らの首を絞めてしまいます。


何故か、今さら火が点いた領土問題。
売国政権に本当に解決しようと言う気があるのかどうかは甚だ疑問ですが、
今までODAで、しこたま援助してきた事を考えると、百歩どころか一万歩、否、百万歩譲っても竹島も尖閣諸島も日本の領土でしょう。
何なら今までの援助額の合計を公表して、『こんだけ金をくれてやったんだから島の1つくらい寄越せ!』
と、世界中に発信しても良いのでは?
などと思ってしまいます。
(本来は完全に日本の領土ですけど、残念ながらどちらもまともな意見の通じる相手ではないようですから。)

ACTAや、どさくさ紛れに通したい法案。
はたまた単なる延命の為の『やらせ』でない事を切に願う次第であります。
ただでさえ蒸し暑くてイライラしがちなんだから、これ以上怒らせないでちょうだいよ…。
イギリス海軍の軍艦フェートン号は、
(既に滅亡していた)オランダ国旗を掲げ、
オランダ商館員を欺き長崎へ入港。
慣例に従い、出迎えに来た商館員2名(オランダ人)を拿捕し湾内を回航、オランダ船を探し回りながら、人質として拿捕した一人に日本側に食料や薪水を要求させた。

これに怒った長崎奉行は湾内警備担当の鍋島藩と福岡藩にフェートン号の焼き討ち、若しくは抑留を命ずるものの、警護担当の鍋島藩の兵力が平和ボケで勝手にわずか150名まで削減していた事が判明。
オランダ商館長の勧めもあり、
翌16日 イギリス側の食料要求に応じて支給。
オランダ人は釈放され、イギリス船は湾外へと去った。

結果的には、日本側に被害は出ず、人質となったオランダ人も無事に帰還したものの、それを良しとしなかったのが長崎奉行の松平泰英。
むざむざと要求に応じて国を辱しめたとして自ら切腹。
警護担当でありながら勝手に兵力を減らした鍋島藩家老数人も責任を取る形で切腹した。


時は流れて2012年。
島根県に籍を持つ竹島は、『韓国の固有の領土』と大統領自らオリンピックのサッカーの日韓戦の前日にアピールされ、
埼玉県の怪しい地権者?が所有する尖閣諸島は『中国固有の領土』と、香港の右翼?が上陸し逮捕(強制送還という名目でお帰り願ったようですが)と何だかトンチンカンな、まるで菅政権の尖閣事件の対応のデジャヴーを見ているようでクラクラして来ますが相も変わらず責任を取る人は誰ひとりとして居ません。
切腹とかナショナリズムを推奨するつもりはありませんが、せめて決定権を持つトップにはそれなりの覚悟と意地を見せて欲しいと願うのは私だけでしょうか?

こんな腑抜けの為に死ぬと分かって特攻隊や戦地に行ったんじゃない!
と、お盆で里帰りした先人の霊も悔しがっていると思うんですがね…。