廃藩置県という一種のクーデターにより、最も割りを喰ったのは商人であった。
藩主連中を県令などに祭り上げ、実務を仕切ったのは元武士の新官僚。
旧勢力に取って変わったのが、同じ武士や公家だったと言う所が維新のあざとさだったようです。

平安時代後期から続いた特定領主による領地支配は変革したものの、
当然そこで発生する利権に群がるわけで、『金が集まる所に人が集まる』のは古今東西変わらぬ癖のようです。

特に、ほとんど詐欺に遭ったのが大阪商人。
信用貸しで旗本や御家人などに貸していた金が、廃藩置県により藩から新政府の債務と代わり、
政府側は、とても払いきれない莫大な債務の返済に条件をつけて誤魔化してしまいます。
明治元(1868)年以降の債務は公債を発行し元利を3年間据え置いた後から年利4%で政府が25年で返済。
弘化(1844~47)年間以降の債務は無利息で政府が50年返済。
天保14(1843)年以前について(全体の債務の半数以上)は、旧幕府が棄損令を発していた事を理由に全てチャラにしてしまうと言うヤクザな手法で踏み倒してしまいます。

これによって、貸し倒れが続出。
破産する商人も出る始末で、当時「天下の台所」とまで言われ日本の商業の中心であった大阪が最も被害を被り、繁栄を極めた街の賑わいは消えていった。



時は流れて、2013年
国民向けには、「交渉で聖域を勝ち取る」
と宣いながら、「どうか仲間に入れて下さい」と頭を下げてTPPに強引に参加しようとしている時の政権。
アメリカの国債は死ぬほど買い付け、
やがてチャラにされてしまうのは自明の理ですが、損失は消費税の増税と破綻させる年金で埋める気でしょうか?
パンダ一頭1億円。
オスプレイを始めとする使えない防衛システムにウン十億円。

全て、国民から巻き上げた税金だと言うのに…。
軽減税率の適用と引き換えに散々消費税の必要性を煽っていた朝日あたりが、今さらこの増税のおかしさを批判するフリをしていますが、「決まった事は仕様がない」と言う姿勢を変えるつもりはないようです。(読売に至っては現政権とズブズブの仲ですから「アベノミクス万歳」を唱えるだけですけどね)
増税の必要条件を満たす為の「アベノミクス劇場」
官民一体となった猿芝居をいつまで許すのでしょう?
7月21日に予定されている参議院選挙。
我々の意志を示す最後のチャンスに
どういう行動で示すのでしょうか?
二十四節季の第6弾、穀雨。
今年は4月20日頃だそうですが、
季節的には、「田畑の準備が整い、それに合わせて雨の降る頃」とあります。
北風や冷たい空気の終わりを告げる、本格的な季節の変わり目の雨といったところでしょうか。

この二十四節季を約5日毎に、3段階に分けたのが七十二候。
江戸期に二十四節季の本場中国と日本との時差に(日蝕予想を外す事で)初めて気づいた渋川春海ら暦学者によって改訂され、季節を表す分かりやすい表現へと変わっていきました。
この春海、国産初の暦や地球儀なども開発。天文学に基づいた知識をあらゆる場面で日常に当てはめ、もともと幕府に仕えるきっかけとなった碁の打ち方にも用いて殿堂入りするほどの腕前だったようで学問を万事に応用できる、数少ない学者と言えるでしょうか。

明治7年 更に改訂された「略本暦」が現在も使われているようですが、それによると、

初候(最初の5日)で、葦の芽が吹き始め、
次候(現在の「みどりの日」前後)で、霜が終わり稲の苗が生長。
末候(5月の最初)で、牡丹の花が咲く頃とあります。



2013年4月20日 昼過ぎから降り始めた冷たい雨は冬の終わりを名残惜しんでいるかのようで、冷たい空気に切なさをも感じてしまいます。
冬物のコートも明日でお役御免といったところでしょうか…。

各藩独自の貿易(密貿易)を行って、財政難を解消していた維新前夜。
脆弱な明治新政府は、反乱を起こしかねない武士の特権を取り上げ、権力を集中させようと画策。
明治2年の版籍奉還に引き続き、藩の名称を廃止、中央に服従させる自治体(県)にして金と権力を握り、中央集権の官僚制度を確立を目指した。


明治3年 大蔵大輔の大隈重信が
「全国一致之政体」を求める建議を太政官に提出。
これが認められ、
翌年7月14日(1871年8月29日)14時
明治政府は、在東京の知藩事(旧藩主)を皇居に集め廃藩置県を命じ知藩事は失職。
各県には、政府から任命された県令が派遣されます(現在も元官僚が「○○県知事はどうだ?」と声を掛けられ立候補。政党や業界団体の支援、広報と化したマスコミによる好意的な報道で知事になっていますからあまり変わっていないのですが…)。


この廃藩置県の成立までに、
政府内では、木戸、大隈派と、
大久保、西郷派の権力闘争があり、
結果、西郷を説得?した木戸派の推進する政策が実行に移されるのですが、
鹿児島藩の政務に勤しんでいた西郷を中央政府に引っ張り出す為に双方が望んで行ったのが御親兵。


木戸、大隈の急進派は、親兵の力を背景に廃藩置県や官僚、租税制度の整備による中央集権を目指し、
大久保らは逆に、その流れを変えるべく出身藩である薩摩藩の親兵入京と西郷の入閣を歓迎。
これを受けた西郷が、
明治4年1月4日 鹿児島を出発し東京へと向かう。
当初、急進派に批判的な西郷は、
途中、大久保、木戸と合流。
両者の意見を聞き双方の思惑も理解。
政争の深刻化を危惧し、自らは一歩引いた形での新制軍隊の編成に力を注ぐとして、
2月13日 正式に御親兵が発足した。

ところが、この御親兵の維持費に困窮し
早くも3月には、宮内省の予算10万両が兵部省に移され、
皮肉にも、木戸、大隈の主張する行政組織と税制改革を後押しする事になる。


一部の声高な人々が画策、主張する道州制と憲法改正からの徴兵制。
明治政府の権力掌握を模倣しているようで、何とも不気味な腹黒さを感じてしまうのですが…。
政党の名前が「維新」だけに尚更…。


利用された事に絶望?した西郷さんが、
最後には、負けると分かっていながら戦わざるを得なくなってしまった気持ちが分かると言ったら傲慢でしょうか?

「いつか来た(過ちの)道」を通りたくはないんですけどね…。