安政の南海大地震から92年目。
先の東海地震から、敗戦を跨いで2年目の暮れに差し掛かった12月21日の早朝、4:19紀伊半島沖の海底で再び大きな擦れが生じてしまった。
西日本全体を襲った揺れは、92年前ほどではないにせよ、当時を知る者などほとんど居らず、しかも敗戦直後で復興の為に米軍に媚びを売りながらも必死に頑張っている最中だっただけに、せっかく積み上げた積み木が崩されてしまうような心境ではなかったでしょうか?
人生の不運期には良くある事ですが、何とか踏ん張って気持ちを入れ換えて立ち上がるしかないのかも知れません。

M8.0のこの地震。
震源に近い高知測候所では、初期微動が18.2秒。激しい揺れは1~2分に及び、最大震度5を記録したのは、北は福井、岐阜から南は大分、高知までという広範囲に及んだ。
高知県の室戸岬では1.2m、足摺岬では0.6m地盤が上昇。浦戸では1.m沈下して100日後に0.4m以上上昇したようで、何と沖合いの室戸に磯が出現。
浅瀬のはずの高知は津波の被害もあり水が退かないという逆転現象が起こったそうです。そして、安政の地震時にも湧出が止まった道後温泉は、この時も38日間停止したようですから自然の力と言うヤツは人間がどんなに頑張っても止められるモノではありませんね…。


因みに、この日の午前4時過ぎ、高知では雉がけたたましく鳴き、住民を叩き起こし、その約10分後に地震が起こったそうです。動物の異常な動きにも注意して、来るべき2040年?に備えますか…。


デンジャラス台風17号が、日本に向かって来ているようです。
京急の事故にも象徴されるように、下手に動くよりも嵐が過ぎ去るのを待つ方が賢明かもしれません。
アメリカがくしゃみをしただけで風邪をひくような国に生きているのですから、大自然の寝返りやくしゃみに耐えられるわけがないという事は我々日本人が一番良く分かっているはずですよね!

重々お気をつけ遊ばせ!
('◇')ゞ
現在なら、イブの夕方という事でソワソワしているであろう時間帯。(もちろん、当時の日本にそんな習慣はありませんけど)
東海地震から僅か30時間あまりしか経っていない海底では、まだ蠢きがあった。
今度は南海トラフ。
紀伊半島西部から四国沖にかけての紀伊水道。
九州から中部にかけて被害が及び、特に近畿地方は前日から2日続けて大きな被害を被る事になり、どっちの被害か区別がつかない所もあったようです。(得てして悪い事は続けて起こりますが、実際にこんな不運もあるんですね。(>_<)

冬場の気温が冷え込み始める夕方の時間で、夕食の準備で火を使っていた家庭が多かった事から大規模な火災を誘発。
特に、土佐の被害が大きかった。
この時、龍馬20歳。
1年に及ぶ江戸での剣術武者修行から6月に戻ってきていたので、モロに被害に遭っているようです。

この(推定M8.4)地震での地殻変動は、和歌山県串本で1.2m、高知県室戸岬でも1.2mの隆起があり、逆に和歌山市加太では1m沈下、高知市新町一円の新田は沈下で海となってしまった。
紀伊半島より西側では、東海地震よりも更に激しい津波に襲われ串本で15m、第3波が最大であった紀伊田辺で5m、室戸で3.3m、高知県の久礼では何と16.1mを記録。
大坂では、地震の約2時間後に2.5~3mの津波が安治川や木津川河口を遡上し数百隻の千石船などの大船を押し上げ、橋を破壊。多くの溺死者や周辺家屋、蔵を破壊した。

この地震から更に40時間後の12月26日には、豊予海峡でM7.4の地震が愛媛から大分再び大きな揺れを観測。高知城下では地震後1年で817回の余震が記録されている。


時は巡り、戦後の混乱の真っ只中の1946年、再び南海トラフで歪みが生じ、昭和南海大地震が発生します。
安政の地震から約90年で発生した為、今度は、2030~40年代が危険とされています。
現在の首相(何故か野田氏が続けていますが)が、『脱原発依存』(依存性か?!(-"-;)の目安として掲げる、「2030年代」という根拠のなさそうな先送り(『決められない政治』の真骨頂です)の数字も、こういう予測の上で成り立っているんですね。

明日は自民党の総裁選。
しかし、中国や韓国のみならず、台湾からも『この政権なら!』と完全にナメられていながら、来年の秋までボロボロ日本丸で乗り切ろうとするふざけた連中を何とか失脚させられないものでしょうか?
1944年12月7日 13:36
三重県尾鷲沖20kmほどの熊野灘から愛知県三河湾沖に至る南海トラフと平行した線上の広範囲に及ぶ震源域が大きく動いた。
太平洋戦争末期で情報統制が行われていた為に、正確な記録はほとんど残されていないようですが、気象庁の推定で M7.9
震度6が静岡県御前崎市や三重県津市、四日市市など、そして何故か内陸部の長野県諏訪市も同様の揺れを観測している。
御前崎市では初期微動が約17秒間続いた後に3分間の強い揺れが続き、東京でも長周期地震動が10分以上続いたようです。

地殻変動は90年前の安政の大地震の時よりは小さかったものの、愛知県東海市太田川付近では、堤防が地割れを起こし2mほど地盤沈下、渥美半島(30cm)、浜松東部(20cm)と沈下。
一方、相良港では30cm隆起、御前崎でも15cmの隆起を記録している。

そして、地震から約5分後、静岡県御前崎では引き波が始まり、40分後に第1波が襲来。合計5度に及ぶ津波は3回目に2.5mを記録。
震源域に近い熊野灘では10~20分後で津波が到達。尾鷲の最大波高は9mを記録した。
流出家屋3千戸以上、浸水家屋8千戸以上、推定死者は1223人とも言われるこの地震は、戦時中で敵国や自国民に情報を漏らしたくないという事と、翌日が真珠湾攻撃の日に当たる事で、新聞各紙の一面トップは『昭和天皇の大きな肖像写真と戦意高揚の文章』で占められていて、地震については一面以外の最下部に僅か数行記載されただけで、『大した被害ではない』『すぐに復旧できる』という虚偽の内容であった。(311の後の官房長官の名ゼリフを思い出します)
ところが、実際、アメリカの主要紙は『日本で大地震発生』と大きく報じられ、ニューヨークタイムズなどは『破壊的』と表現したらしい。
当然、軍は偵察機を飛ばし、軍需工場の被害状況を把握。日本人よりも情報を掴んでいる所など、311の後の放射能漏れの時と同じようで泣けてきます。(T_T)

名古屋近辺にあった三菱重工業や中島飛行機を始めとする軍需航空機産業は、大きな被害を被り、その後の軍用機の生産に多大な影響を与えるが、マスコミは一切報じていないようです。
戦後、『報道規制があった』などと失権した軍部を批判していますが、言い訳にしか聞こえません。
今も同じように『長いモノに巻かれる』報道を繰り返している彼らに軍部を批判する資格などないと私は思っています…。