『赤い靴』と同じく野口雨情さんの詩です。

『シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで 壊れて消えた

シャボン玉消えた 飛ばずに消えた
産まれてすぐに 壊れて消えた

風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ』

茨城県磯原町(現 北茨城市)の名家の長男として生まれ、現在の早稲田大学を1年余りで中退、父の死と事業の失敗で栃木県の資産家の娘「ひろ」と政略結婚して故郷に帰ったのが23歳。
2年後に長男が生まれるものの、「一旗揚げる」と家を出て樺太に渡り失敗。
故郷へは戻らず、東京で自称詩人として大学中退後と同じような生活?をするが、再び北海道へ渡り新聞記者となる。
「小樽日報」では、同僚の石川啄木と(1ヶ月だけ)を結ぶものの、主筆に対し排斥運動を起こし敗れて退社。(規模は違いますが、ナベツネさんに逆らうようなもの)
その頃に、産まれたばかりの女児「みどり」を亡くしてしまいます。

その後、6つの新聞社を転々とし、
1908年には、読売新聞に、
『雨情、札幌で死去』と言う誤報まで出される始末で、1909年 帰郷。
1915年には、事実上完全に破綻していた結婚生活にやっとピリオドを打つ協議離婚が成立。
1918年に再婚して、本格的な詩の創作活動に打ち込みます。


数多い童謡の名作から、
『七つの子』

カラス なぜ啼くの カラスは山に
かわいい七つの子があるからよ

かわいい かわいいと カラスは啼くの
かわいい かわいいと啼くんだよ

山の古巣に 行って見てごらん
丸い目をした いい子だよ


実生活で、子供を愛していたかどうかは分かりませんが、自らが招いた様々な辛苦の中でも、優しい心は失わなかった?ようです。
酒に溺れたり、女性に溺れたりしながらも、心の奥ではいつも、自分の亡くしてしまった子供や、『赤い靴』を書くきっかけとなった子供など、子供に対する愛に溢れていたのかもしれません。


台風一過の十五夜の月は、そんな人の心の奥を照らしてくれているのかもしれませんよ…。
10月になりました。
気持ちを新たに頑張って参りましょう!
(-.-)y-~
イ・ミエさんと言う方が書かれた
『世界で一番大切な思い』(訳 笛木優子さん)の中の一つの物語だそうです。

ある娘さんは結婚が決まります。
しかし、娘さんのお父さんは義足でした。お父さんは、何とか娘の手を取って一緒に歩きたいと願い、歩く練習をし始めます。
娘さんは、そんな姿を婚約者に見られる事が嫌でしたが、お父さんの練習は結婚式が近づくにつれて更に熱心になり、どこからか白い運動靴を手に入れて来て練習をしていました。

「お父さんが結婚式で転んだらどうしよう? その姿を嫁ぎ先の家族に見られたらどう思われるだろう?」
娘さんは、そんな事ばかり気にして結婚式を迎えます。
式の当日、練習の成果でお父さんは転ぶ事なく歩く事が出来ましたが、娘さんはスーツ姿の父の足元の白い運動靴ばかりが気になっていました。

数年後、危篤に陥ったお父さんは娘の手を取りながら、結婚式でのあらましを話します。
『お父さんは、結婚式でお前の手を取って式場に入る自信はなかった。だけど、お前の夫が毎日のように訪ねて来てくれて励ましてくれた…。転ぶと危ないからと、運動靴まで買って来てくれたんだ…。』


欠点を探すのは簡単です。
出来ないと諦めるのも簡単です。
but,しかし、
それじゃあ人生、面白くありません。
欠点を大目に見て(実際、自分の欠点もかなり大目に見てもらっているのかもしれませんよ!)、何とか踏ん張って出来るようになってしまう。
さすれば、また違った可能性が拡がるんですけどね…。
斯く言う私も、
maybe,恐らく
他人に厳しく自分に甘く生きているんでしょうけどね。σ(^◇^;)。
台風も吹っ飛ばす気合いで9月の終わりを乗り切りましょう!
('◇')ゞ

台風が過ぎた後の夜空には、
きっとあなたの明日を照らす月が輝いているに違いない!


(-.-)y-
ド素人が批評するのも
おこがましゅうございますが、
皆さまご存知の
『赤い靴を履いた女の子』

1 赤い靴 はいてた女の子
異人さんに連れられて行っちゃった
2 横浜の波止場から 船に乗って
異人さんに連れられて行っちゃった
3 今では 青い目になっちゃって
異人さんのお国に居るんだろ
4 赤い靴 見るたびかんがえる
異人さんに会うたびかんがえる


明治35年、静岡に生まれた
「岩崎きみ」ちゃん。
家庭の事情(離婚?)で、赤ちゃんの時に母と再婚相手と共に北海道に渡ります。
夫婦は開拓農場で働く事になりますが、過酷な生活に子育てを諦め、きみちゃんが3才の時に、アメリカ人宣教師で子供のいなかったチャールズ・ヒュェット夫妻に養子に出す事になります。

その後、札幌に引き上げ、新聞社で勤め始めた夫の鈴木志郎は、作詞家の野口雨情と知り合う事になります。
生後間もない我が子を亡くして『しゃぼんだま』という詩を書いていた雨情は、似たような感情に打ちひしがれていた?鈴木夫妻と急速に親しくなり、ある時、妻のかよが雨情に、「きみちゃん」への想いを打ち明けます。


一方のきみちゃん。
日本での任務(洗脳活動?)を終え帰国の途に就こうとしていたヒュェット夫妻でしたが、肝心のきみちゃんが、当時不治の病と言われていた『結核』に罹ってしまったので孤児院に預けてしまいます。
雨情も母も、てっきり横浜から船に乗って旅立って遠い異国の人になったと思われていた「きみちゃん」は、隔離された薄暗い部屋で、ひとり(誰も助けることのできない)病魔と闘い、
明治44年9月15日 息を引き取ったそうです。(T_T)


開拓、移民、…。
まるで、ジャパニーズドリームが転がっているかの如くきらびやかに喧伝されながら、恐らく実体は…。
昨年、散々宣伝された『絆』『復興支援』…。
家族は生き別れ、意見の食い違いで人間関係を引き裂いておきながら、
『自己責任』との逃げ口上で
決めた人は誰も責任を取らない各界のトップ。
『お上』だとか『社長』『会長』、あるいは『首相』だなどと奉られていますが、同じ人間ですから、我々と同じように嘘もつけば逃げ隠れもするし、間違った判断や決断もしてしまうのです。
意外と難しく勇気の要る事ですが、
『過ちは早めに認めて、それを正すべく労力を費やす』事が人としての悔いのない生き方のように思います。

では、よい週末を!(^o^