禁門の変後、御所に発砲をしたと言う理由で『朝敵』となった長州藩に対して朝廷は将軍家茂に征伐を命令。
前尾張藩主徳川慶勝を総督、越前藩主松平茂昭を副総督、薩摩の西郷隆盛を参謀に36の藩の15万の兵が長州へと向かう。

一方、攘夷の履行の口実で下関沖のアメリカ商船に大砲をぶっ放した長州に対して報復攻撃に出たアメリカ、フランスなどの艦隊により砲台は壊され、軍艦は沈められと惨敗。
幕府の大軍と戦えるはずもなく、保守派の台頭もあり、即座に「恭順」の意を示しあっさり決着する。

禁門の変で、鷹司邸に侵入した長州軍に対して、馬を降りて戦闘に加わったと言う慶喜は、ふっ切れたのか攘夷派に対する姿勢を融和的な対応から強硬派へ一変させる。将軍後見職を辞し、京都で禁裏御守衛総督となり朝廷に接近。
幕府とは疎遠になるが、その穴を埋めるかの如く、幕府、朝廷双方にパイプを持つ会津藩(京都守護職で会津藩主の松平容保)や容保の弟定敬(京都所司代)が藩主を務める桑名藩が慶喜と連携。
諸国(特に力を持っていた薩摩藩)を排除して『連立』という隠れ蓑を使った独裁体制を敷いた。

1865年 一橋、会津、桑名の連立政権は、事実上、朝廷政治を支配。長年の懸案であった『安政5ヶ国条約』に勅許を獲得、我が世の春を謳歌する。

1866年6月 高杉らによるクーデターで保守派を一掃した長州に対して、幕府は再び征討を宣言。
将軍家茂自ら大坂まで出向いて総指揮を執る。
ところが、前年に坂本龍馬らの仲介で密かに犬猿の仲だった薩摩と長州は盟約を結んでおり、薩摩に対する出兵命令は拒否。
前年から鍛え上げてきた高杉の奇兵隊などで士気上がる長州に比べて幕府軍の団結はバラバラで各地で苦戦。
家茂の死と小倉藩の陥落により、慶喜は速攻で朝廷に休戦を申し入れ、事実上の幕府軍の敗戦に終わった。



2012年12月26日
年末のどさくさに紛れて、野田内閣退陣。325/480と言う圧倒的多数の自公連立政権が誕生、ほぼやりたい放題可能な政権が誕生してしまった。
おそらく、来年夏の参議院選挙が終われば消費税増税だけでなく、原発はどんどん再稼働を許可するだろうし、憲法も改悪、下手すりゃ核兵器も公然と所持しようとするのではないでしょうか?

生き残る為には他人を陥れ、文字通りサバイバル弱肉強食の動物みたいな国を目指す?方々が国を動かしてしまうと言う恐怖。
2013年 今年より酷い年になりそうな……
『いい夢
見ろよ!』
(-.-)y-~~~

クリスマスは、やっぱケーキより鍋っしょ!
これが、ジャパニーズスタンダードだって事で言い切っちゃえ!

ケーキ好きな方には申し訳ないけど、
甘くて白いモノだから、おもいっきり身体を冷やす食べ物なんですよね。
身体が冷えるとネガティブになるし、
うつ病の人はほとんど身体が冷えているそうです。←(逆もまた真なりで「身体が冷えるとうつ病になる」とも言えます。)


って事でナベ!
温まって血液が回りだすと陽気になるのは、何もお酒ばかりではありませんことよ!
では、良いクリスマスを!('◇')ゞ
1840年 山口県萩市の萩藩医の三男として生まれた久坂秀三郎。
幼少時から私塾に通い勉学に励んでいたが、14才の夏に母を亡くすと、翌年に兄、兄の死の数日後には父と次々に亡くし、15歳の春にはたった1人で久坂家を継ぐ事となった。(この時、頭を丸めて玄瑞と改名)

尊敬する吉田松陰の門下生になる為に書簡を送るも、自説を否定され議論の応酬となり、最後に松陰の『実践なき大言壮語に対する叱責』で決着。
1857年 春 正式に門下生となる。
玄瑞を高杉晋作と並ぶ秀才と見込んでいた松陰は、12月に妹の文を嫁がせ義兄弟となるが、
1859年 安政の大獄により松陰が刑死、玄瑞が攘夷運動の先頭に立たされる。
この当時、友人に宛てた手紙には、
「近頃僕は西洋の事を記した文献を読んでいるが…」「たとえ大砲や巨艦があっても真の意味で西洋人に勝つことは出来まい」
『攘夷には初めから成算などない。ただ肝心なのは国家の方針を定め大義を打ち立てることだ』と記されています。


1863年8月18日(旧暦)の政変を経て、
翌年の池田屋事件で吉田稔麿や宮部鼎蔵と言った逸材を失い、
激発した藩論に押され、来島又兵衛や真木和泉らと諸隊を率いて上京。
長州藩の罪の回復を願うべく、玄瑞が起草した「嘆願書」を朝廷に上奏した。
在京の他藩士や公卿は、一連の経緯から長州藩に同情的で寛大な措置を要望していたが、犬猿の仲の薩摩藩兵の京都入りで状況が一変する。
7月17日 男山八幡宮で大会議を行った長州藩は、玄瑞の慎重論(大義も勝ち目もないので時機を待つべき)を退け、僅か2千の兵で2万とも3万とも言われる幕府軍(一橋慶喜も戦闘に参加)との戦いに臨んだ。
当初こそ、決死の来島隊の勢いで優勢に進めるものの、援軍に加わった西郷隆盛率いる薩摩軍に来島が討ち取られると長州軍は総崩れ。
敗戦を悟った玄瑞は、藩の名誉だけでも回復させようと因縁の堺町御門から乱入、敵兵を蹴散らし鷹司邸に入り、攘夷派を自認し水戸斉昭の義兄でもあった鷹司政通に、「朝廷への参内の供をしてもらい嘆願をさせて欲しい」と請うも鷹司は邸から逃亡。入江九一らに後を託し、火の海と化した鷹司邸で、松陰から『天下の英才』と称された天才は25年の短い人生の幕を自ら閉じた。


原発に限らず食品業界も医療業界も、
金の為なら人の命を平気で生け贄にする世の中と化した2012年のニッポン。
打算的でない人生も楽しいかもしれませんぜ!