Book Off の「1冊100円+税」コーナーで3冊買った、最後の一冊。
あとの2冊は、既読です。
『ホスピスでむかえる死』は2003年に出た本。
記されているのは、主に1990年代のがん闘病の様子。
横浜のホスピスで最期をむかえた人々とその家族の記録なので、神奈川県内、さらにはワタシに馴染みのエリアの話題が多い。
親しみやすさもバッチリの内容だった。
「がん闘病」ではないが、ワタシの父も、命のカウントダウンが近い。
(もっとも、生きている人はすべからく、「命のカウントダウン中」なのだが)
共通する問題意識をもって、読んだ。
驚いたのが、ホスピスに移る前に治療を受けていた病院の描写。
ずいぶんと高圧的で、患者の意思や意向がほとんど尊重されない。
1980年代に、納得のいくがん治療を求めて、ジャーナリストの千葉敦子さんがアメリカへ渡ったのも、「そういうことだったのか」と腑に落ちた。
今は「患者さま」と呼ばれ、「そこまでしなくても…」というほどの丁寧さ。
場合によっては「慇懃無礼」と感じることもあるけれど、かつての「病院はこわいところ」というイメージは、ずいぶんと和らいでいる。
治療や薬について詳しく説明してくれるし、リスクも含めて選択肢を提示してくれる。
疑問点にも、丁寧に対応してくれる。
ワタシにとっては満足度が高まるのだけど、医者の判断に従うしかない「パターナルな医療」に慣れている親たちは戸惑うようだ。
「自分では決められない」「先生が決めてくれればいいのに」と、むしろ不満げ。
難しいものだね。
読んでいてもうひとつ驚いたのは、患者の家族がホスピスを探し、かなりのご苦労をして転院させている様子だ。
今年に入って、父が救急搬送され、約1ヶ月後に希望していた病院に転院した。
その際、両病院の「支援員」「相談員」と呼ばれる方々が、すべての手配をしてくれた。
家族は、希望を伝えて、連絡が来るのを待つだけ、と言ってよかった。
それと比べたら、本当に申し訳ないほど、本書に出てくるご家族たちは「時間」と「労力」を費やしている。
時代が違うだけでなく、我が家のケースは「要介護老人」だから、ということもあるかもしれない。
優秀な人材に当たって、ラッキーだったのかもしれない。
ひょっとしたら、娘2人が医療系免許持ちで、上手に立ち回ることができた、ということもあるかも、だが。
「闘病記」を読むときは、「時代」を考慮しなくてはならない。
今では「かなりの確率で、治る」という病気も、過去には「発覚=死亡宣告」だったりする。
この本でいえば。
治らない病気の末期に、死とどう向き合うか?
どういう生き方・死に方を望むか?
…という課題は、現代と共通する。
元気なうちに、家族と、あるいは親しい人と、ぶっちゃけて話しておくと、「自分が望むこと」がクリアになる。
そう思って、ワタシはときどき、この手の話をふっかける。
しかし、そうした重いテーマを避けたがる人が多いようだ。
みんな、一度は死ぬのにな、って思う。
「知の巨人」と呼ばれ、脳死や臨死体験に関する著作もある立花隆は、生前のインタビューで「死ぬのが楽しみ」と語っていた。
がんを抱えていたその姿は、強がりとは思えなかった。
本当に、未経験のことに、ワクワクしているように見えた。
ワタシも、かくありたい。
他者の死は何度も経験できるけど、「自分の死」は一度きりなのだから。
できれば、「生」を雑に終わらせたくない。
ひとつ誤解していたことがある。
「ホスピスは高額で、お金に余裕がある人が入るところ」と思い込んでいた。
ホスピスの費用は、病院とほぼ同じ。
収入に応じて、医療費の減免措置を受けることも出来る。
昨年、母方の叔父ががんで他界したのだけど、最期は退院して、自宅で家族が看取った。
ワタシの実家と同様に公営の賃貸住宅であり、「看取る環境」としてはいささかムリがあったようだ。
叔父が「家に帰りたい」と訴えたそうだが、従妹がこっそり言うには「お金がないから」と。
彼らは、知識がなかったから、家で看取るしかないと考えたのではないか。
「病院で緩和ケア」という選択肢を、どの程度、きちんと検討したのか。
突っ込みたいところではあるが、「今更」なので、何も言えない。
自分たちが当事者となったときには、きちんと検討していきたい。
「どんなことをしても、家族ってのは、後悔するものよ」とは、看護師免許持ちの妹の言葉。