『河倉城』に行って来ました
白く塩が見える平地を見渡しながら
道をずっと走ると・・・
見えてきました
魏普代まで軍の食糧倉だったとか
軍と言っても この頃
戦争は無く 主に西部を守る
防衛兵の軍だったそうです
河倉城の大きさは
幅40m程の倉で屋根は落ちて有りません
壁には 風を通す穴 窓がありました
ここも貸切状態でゆっくり見れました~
大地のパワーをたっぷりもらって
車で移動
『玉門関』へ
おお~
玉門関はシルクロードの関所の一つ
中国 漢代の武帝が
万里の長城 西の端に設置した関所
漢代と唐代にあったそうで
現存するのは 唐代の物だとか
白く塩が見える平地を見渡しながら
道をずっと走ると・・・
見えてきました
魏普代まで軍の食糧倉だったとか
軍と言っても この頃
戦争は無く 主に西部を守る
防衛兵の軍だったそうです
河倉城の大きさは
幅40m程の倉で屋根は落ちて有りません
壁には 風を通す穴 窓がありました
近くに狼煙台が有りました
敦煌には 色々な時代の狼煙台があり
道を走っていてもよく見かけます
昔から狼煙台は平地には5㎞おきに
起伏のある場所では2.5㎞おきに設置されており
今も多くが残されているそうです
『狼煙台(のろしだい)』
どうしてこんな字を書くのか
ずっと不思議でした
ガイドさんの説明で納得
狼煙は夜は薪であげ
昼はオオカミの糞を燃やして上げるそうです
オオカミの糞は風になびかず
まっすぐに上がるからだとか
ここも貸切状態でゆっくり見れました~
大地のパワーをたっぷりもらって
車で移動
『玉門関』へ
おお~
玉門関はシルクロードの関所の一つ
中国 漢代の武帝が
万里の長城 西の端に設置した関所
漢代と唐代にあったそうで
現存するのは 唐代の物だとか
高さ10mほどで
西域交通で北ルートを通ると
ここ 玉門関を必ず通り中国に入る
中国と西域の境界関所
中はこんな感じ
横から見ると こんな感じ
西側と北側に入り口があり
近くには大きな河があったそうで
今は跡が草地として残っていました
かすかに水がみえる
荒れ地に確かに川のように緑が有るのは
すごく不思議な感じ
動物は牛 ラクダ 馬がいるそうですが
鳥すら見かける事はありませんでした
陰と言われた『玉門関』の次は 陽と言われた『陽関』へ
続く・・・