お正月に家に帰り、久々に甥っ子たちに会うことができてお年玉をあげることができた。親がお金を預かることになり、すぐに回収されてしまったが、お金などの物よりも甥っ子たちの成長に立ち会えて、一緒に遊ぶ時間を過ごせたという目に見えないものこそが素晴らしいものであり感謝である。
ヘブル11章は有名な『信仰によって』と連続で続く箇所であるが、キリストがどれほど信じられる大祭司であるかをヘブル書ではここまで語られ続けて来たが、その信仰の実例。さらには、信仰とはいったい何なのか?を見ていきたいと思う。
①信仰とは
さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。1節
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。6節
信仰は神、そしてその神から与えられた言葉への具体的な信頼であり、現実的にはまだ手にしていなくても、既に得ていると確信して生き方を変えるもの。
神と共に生きる時に、神は良い方でその全てを見て下さっていて、報いを必ず与えて下さると信頼する生き方である。
②報いはあるはずでは?
これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。13節
11章では多くの信仰者の実例があげられるが、報いを必ず受けると書かれているにも関わらず、信仰に生きたにも関わらず、この世で得ることができずに、結局は迫害され殺されてしまうものも多くのせられている。信仰に生きたにも関わらず彼らに報いはないのであろうか?
③最も素晴らしい報い
しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。16節
これらの人たちはみな、その信仰によって称賛されましたが、約束されたものを手に入れることはありませんでした。39節
アブラハムは約束の地をこの世では得られなかったが、後に神と永遠に住む天の都が与えられ、彼の信仰を見て喜ぶ神は素晴らしい称賛を持っていて、後にそれは明らかにされる。
神に対して信頼し、必ず報いをを与えて下さると信じて生き方が変えられることこそが信仰者の生き方であるが、もちろん神は全てを良きこととして用いられるが、時に人生の途上であるこの地上では約束のものを得られないことがある。
かたちあるものとしての報いが与えられないとどうして?と思うことがあるかもしれないが、人の目から見た成果ではなく、主の目はその信仰を称賛されていて、天の都では愛する神との関係という最も素晴らしいかたちないものは永遠に続く。
私たち後に与えられる素晴らしい都に目をあげ、既に与えられている神と共に歩むことができるという素晴らしい恵みに生きていこう。今日、主はあなたの信仰を喜ばれている。