私には長らく病で苦しんだ経験があり、私が本当に神の愛する子とされているならばどうして苦難にあうのか?神に見捨てられたのではないか?と苦しむ日々を送った経験がある。苦難にあうとき信仰者はみなそのような思いになるのではないだろうか。
ヘブル12章に書いてあるのは、むしろ信仰者は辱められ、苦難を通され、更にはその闘いは忍耐が必要な長き闘いになることが記されている。しかし、苦難さえも乗り越える力を御言葉は与えようとしてくれている。その三つのポイントを今日は見ていきたいと思う。
①先駆者であるイエスを見続ける
信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。2節
一つ目の苦難を乗り越える力はイエスを見続けることである。イエスは私たちより先に辱めと十字架の苦難を乗り越えた先駆者であり、私たちは苦難にあった時に、先にイエスが苦しみを乗り越えられたではないかと励まされることができる。
②訓練である
すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。11節
二つ目は、その苦しみは一過性で終わる無駄なものではなく、神からの愛する子としての訓練であり、神との更なる深い関係である義から生まれる平安が育まれていき、決して無駄にならずに益とされるということである。
③圧倒的な恵み
しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、天に登録されている長子たちの教会、すべての人のさばき主である神、完全な者とされた義人たちの霊、22〜23
三つ目は旧約では本来罪深いものが神に近づくことは、シナイ山での神の現れの時の様に恐れるものであった。それが、私たちに与えられた新しい契約の恵みは神の前に喜びを持って集うことができ、その名が記されていて、天で完全にされることになるという圧倒的な恵みが与えられているということである。
あなたは今、苦難にあっているだろうか?苦難を乗り越える三つの力を思おう。主は先に多くの苦しみを通り、あなたの苦しみを理解してくれている。既に神との壁は恵みによって取り払われていて、神は必ずあなたの声を聞いてくれている。そして、あなたが体験した苦しみを主は知って下さっていて、決して無駄になるものではない。主はあなたを苦難からさえも乗り越えさせて下さる。