あなたはありのままで話を聞いてくれる、親しき交わりを持てているだろうか?何でも話せる、自然体で受け入れてくれる関係を持っていない時、人は少しずつ心が塞がれて疲弊していってしまうだろう。
今日はヘブル10章から私たちの素晴らしい大祭司こそが、心を満たして下さることを見ていきたいと思う。
①不完全な祭司と生贄
さらに、祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえを繰り返し献げても、それらは決して罪を除き去ることができませんが、
ヘブル人への手紙 10章11節
旧約の生贄と祭司は不完全であり、日々捧げ続けても罪を取り除くことができなかった。
②完全なキリスト
なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。
ヘブル人への手紙 10章14節
それに対し儀式的な捧げ物でなく、神に従順に従いみこころを成し遂げたキリストは、ただ一度で永遠に完成されて、罪の赦しが成し遂げられた。
③ありのままで神の前に
心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。
ヘブル人への手紙 10章22節聖書
ヘブル書では良心の呵責から、私は神の前に出る資格が無い、救われないのではと考え、生贄を捧げる必要性を感じるクリスチャンたちがいた。
しかし、キリストを信じる者は、立場、行い、良心の呵責、ありとあらゆるもの関係なく、ただキリストの血によって何も持たないで、大胆にそのままで心から神に近づいて行くことができる。
人と関わる時に、相手との立場を考えたり、恐れたり、気遣ったりして、ありのままの姿を完全に人に受け入れてもらうことは難しい。
しかし、私たちは罪人であるにも関わらず、ただキリストの血によって既に幕は取り除かれていて、私たちは確信を持って神と親しく交わることができる。
ここに平安と安息がある。この圧倒的な恵みに感謝し、この世界を造られた神の聖所に行き、今日、主と親しく交わろう。神はただありのままのあなたを受け入れて下さるから。