喜劇 眼の前旅館 -67ページ目

喜劇 眼の前旅館

短歌のブログ

あと、この作者はナルシシズムを感じさせない。それは倫理的であることと関係するんだと思うけど、かといって過剰に自己卑下するところもない。自己愛の力で立つのでも、自己卑下が言葉を背後に投げ出すのでもない、この言葉の立ち方は凛々しくて、やはり倫理的ということかな。そこがすごくいいです。

で、その倫理的な態度がふいに笑いに転じる瞬間がある、と私は思ったんですね。あるリミットを越えた時に、倫理性のドンキホーテ化、のようなことが起こるのか。何度か途中で、これは作者の意図にかなった読みかどうか分からないから、書くべきかちょっと迷うんですが、突発的に笑いが喚起される瞬間、がありました。

 準急の扉を開ける蝉時雨 地獄ばっかり地獄ばっかり

これは怖い、というか、行くところまで行ってる歌ですよね。ぐっと息が止まるような瞬間が歌われてる。でも、歌集の、連作の、流れの中でこの歌を読んだとき、私はにやっと笑う程度ではなく、思わず吹きだしましたね。いや、何かそのときリミットを越えたのでしょう、この歌だけを見て、ユーモアを感じ取るのは難しいかもしれない。でもここにはユーモアと紙一重のものがありますね。さっき挙げた人形の歌にもそれはある。その紙一重が破れる瞬間、というのが訪れることは、歌集の引き起こす作用としてすごく貴重なものだと思う。

最後にいくつか、ほかに印象的だった歌を引きます。


 タウンページに腕を挿んだ状態で(探してたもの、あった)めざめた

 鳩尾に電話をのせて待っている水なのかふねなのかおまえは

 ともだちに子どもができた「おめでとう」クマの目を縫うようにさみしい


タウンページに挿むのが手のひらではなく「腕」なところが、兵庫さんだと思いました。
タウンページに腕を挿む女の人、のことが気になる人にも、読んでほしい歌集ですね。


歌葉『七月の心臓』詳細ページ。(ここで購入できます。)
http://www.bookpark.ne.jp/cm/utnh/detail.asp?select_id=52

(引用歌はすべて同歌集からです。)
兵庫さんは、倫理的な態度、意見が比喩として表明される人だと思います。何が許せるのか、何が許せないのか、ということが比喩のかたちで示される。態度を示すために比喩を使う、というのではないですね。そうじゃなく、態度が比喩のかたちを取って、そのまま詩になる、という人だと思う。それは比喩のための比喩とか、詩のための詩ではない。そういう甘く無敵な世界の構築に向かうことはないわけです。兵庫短歌はあくまで倫理的な態度の表明なんですが、しかしあくまで詩の形をとらざるをえない。正しい詩人、本当の詩人だと思いますね。


 あのひとににていないひとたちの群れ かわいそう まだ往路の五月


けっこう抽象度の高い文体なのに、日記を読むような一貫性と読みやすさがあるのも、この歌集の特徴です。
私は歌集を読むのが苦手で、たいていの歌集は(個々の歌の好き嫌いとはべつに)私には読み方がよくわからないのです。例外はたとえば俵万智氏の歌集などで、ドラマ仕立てというか、リーダブルな文体でストーリーを追うように読ませる歌集は読みやすいわけです。

でも兵庫さんの場合はそういうわけではない。人生ドラマという次元で、いったい何が起こったのかは具体的にはほとんどわからない。しかし何かが起こり、それに対し許せる/許せないといった態度が示される、その態度の主体の一貫性(を読者に信じさせる切迫感)が連作や歌集全体を、血の通ったものにしているんですね。どこを切っても血が出るという感じ。

にもかかわらず、一首ごとの詩的切断力のつよさ、は相当なものです。口語短歌はこの点が弱点というか、なんか歌集が歌集に見えないような、行あけのある長い詩でもずっと読んでるような、そういう見え方がしがちなわけですが。そういうところが全然ない。

これは派手に目にとまる特徴というんではないけど、じつはかなり驚くべきことじゃないか、と思いますね。歌の並べ方とか、個々の歌のつくりや言葉の選び方、そういうものが単調にならないための気配りは、相当に行き届いてるのだと思います。
それで一首ごとに世界に切断線を引く、きっぱりとした歌になってるのですが、でも難解ではない。もうごくごくと、本が届いてからすぐ一気読みしてしまいました。しかし本は飲み物ではないから、また何度でも読めるのがいい。


 人形が川を流れていきました約束だからみたいな顔で
 きっと血のように栞を垂らしてるあなたに貸したままのあの本


兵庫ユカ第一歌集『七月の心臓』を読む。

兵庫さんは第二回歌葉の次席だった人です。そのとき新人賞を受賞したのが斉藤斎藤氏ですね。
斉藤氏についてはその後穂村弘氏が「倫理観」という言葉をキーに語ったことが私には印象的で、多分ぎょっとしたんだと思いますが、それからずっと頭を離れないようなところがあります。

というのも倫理、というのは私にはあまりピンとこない言葉なんですね。短歌の話だからではなく、私にはもともと倫理的なものが薄いというか、たとえば私は私自身の基準というのが(文学的にも生活的にも)ほぼなくて、つねにどこか外にあるもの、誰か他人とか、世間とかを基準にして生きている。どっちかといえばかなり道徳的な人間なんだと思います。なくもない不道徳志向、みたいなのも含めて、道徳的。

それで倫理的、という自分には元来希薄なものが、短歌という、自分が表現手段として試みているものの中では、主観的にはわりあいうまくいっている分野、の中で問題にされたときに、思わずぎょっとしたわけです。しかもそれは、自分も候補には残った賞で最終的に選ばれた人を、その賞の審査員でもある人が評した言葉だ。これは気にせざるを得ませんね。

兵庫ユカさんの歌もかなり倫理的です。何かと二つのものを較べてしまう癖が、私にはありますが、兵庫さんを斉藤斎藤氏と比較するような読み方が、少し前から私の中で力を強めていたようなところがあります。それは先に書いたような経緯のせいもありますが、やはり作風の方面に何かそういう読み方を誘うところがあったと思うんですよね。

で、今回歌集のかたちになったものを読み、やっぱりこの二人はすごく似ているんじゃないか。という気がしました。もちろん全然違うんですが、違うのにこんなに似てる、というか、似てるのにこんなに違うものになるんだ。ということに何だかびっくりしますね。

遠吠えの出てくる口を花いろに塗りかけてへちまに囲まれる