兵庫さんは、倫理的な態度、意見が比喩として表明される人だと思います。何が許せるのか、何が許せないのか、ということが比喩のかたちで示される。態度を示すために比喩を使う、というのではないですね。そうじゃなく、態度が比喩のかたちを取って、そのまま詩になる、という人だと思う。それは比喩のための比喩とか、詩のための詩ではない。そういう甘く無敵な世界の構築に向かうことはないわけです。兵庫短歌はあくまで倫理的な態度の表明なんですが、しかしあくまで詩の形をとらざるをえない。正しい詩人、本当の詩人だと思いますね。
あのひとににていないひとたちの群れ かわいそう まだ往路の五月
けっこう抽象度の高い文体なのに、日記を読むような一貫性と読みやすさがあるのも、この歌集の特徴です。
私は歌集を読むのが苦手で、たいていの歌集は(個々の歌の好き嫌いとはべつに)私には読み方がよくわからないのです。例外はたとえば俵万智氏の歌集などで、ドラマ仕立てというか、リーダブルな文体でストーリーを追うように読ませる歌集は読みやすいわけです。
でも兵庫さんの場合はそういうわけではない。人生ドラマという次元で、いったい何が起こったのかは具体的にはほとんどわからない。しかし何かが起こり、それに対し許せる/許せないといった態度が示される、その態度の主体の一貫性(を読者に信じさせる切迫感)が連作や歌集全体を、血の通ったものにしているんですね。どこを切っても血が出るという感じ。
にもかかわらず、一首ごとの詩的切断力のつよさ、は相当なものです。口語短歌はこの点が弱点というか、なんか歌集が歌集に見えないような、行あけのある長い詩でもずっと読んでるような、そういう見え方がしがちなわけですが。そういうところが全然ない。
これは派手に目にとまる特徴というんではないけど、じつはかなり驚くべきことじゃないか、と思いますね。歌の並べ方とか、個々の歌のつくりや言葉の選び方、そういうものが単調にならないための気配りは、相当に行き届いてるのだと思います。
それで一首ごとに世界に切断線を引く、きっぱりとした歌になってるのですが、でも難解ではない。もうごくごくと、本が届いてからすぐ一気読みしてしまいました。しかし本は飲み物ではないから、また何度でも読めるのがいい。
人形が川を流れていきました約束だからみたいな顔で