喜劇 眼の前旅館 -5ページ目

喜劇 眼の前旅館

短歌のブログ

煮えたコーヒー親指で舐めながらおまえまぐれに素晴しい晩年になる  我妻俊樹


最近、といってもここ二年くらいにはなるけど、定型にきっちり収めると(たとえ句跨がりなどあっても)言葉が定型に負けるというか、負けることで結局短歌がそこにあることが見えなくなってしまう、定型ごと埋もれてしまうという感覚がもともとあったとは思うけど、なんとなく強くなってる。例外はもちろんあるけど無視して話を進めると、これはいちおう口語短歌の問題であって、口語は句ごとにエッジが立たないからなんとなく一行の詩というだけに見え、すると31音では微妙に字数も足りなく感じる、ということかと思う。つまり句にあたる単位にエッジをきかせるには五音や七音では足りず、意味的にも31音からこぼれようとする場合、全体に88888をいちおうの上限とする40音マックスを意識した形になるとそれはそれで単調で、いろいろ足したり引いたりまたがったりで崩していってひとつのかたちに収まる、ということを潜在的にやっていきなり即詠で変な形が出てくる、ということがあってそれを私は最近よいこととして受け入れている、ということかもしれない。あえてまったく整理せずに書いてみたが。
この歌はけっこう気に入っている。即詠とはまず作者がいきなり語りかけられる言葉であるように思う。
題詠blog2010、お題「まぐれ」。
彼女は、ばね秤に浅く腰かけ針をゆらして本を読んでる  我妻俊樹


「ばね秤」に浅く腰かける、というたぶんほとんどの人が実際に経験したことのない、私もないけど、なぜかその感覚をありありと体で思い浮かべることのできる行為を語っているわけです。で、その感覚を韻律にうつしとりたい、韻律と言葉の関係として経験し直したい、という気持ちが少なくとも上句にはあらわれているんではなかろうか。題詠blog2010、お題「秤」より。
機嫌よく生き延びながらじゃあまたねあれは夜寒をわたる狐火  我妻俊樹


はたしてこの歌はあかるいのか暗いのか。このあいだ、自分の歌の中から何か明るくて前向きなところのある歌をさがそうとしたとき、これはあかるいんではないかと思った数少ない歌のひとつがこれだった。だからこれは自分ではあかるい歌のような気がしている。あかるいと暗いにきれいに分けられない歌をもともとつくってるつもりだった(たいして意識はしてないが)けど、明るさと暗さが入りまじることで生まれる明るさ、みたいなものを感じさせる歌も思いのほか少ないようだ、と思ったのだった。そういう歌こそがいい歌なのだ、と考えているわけでは(今のような世の中の状態にあってさえ)全然ないが、いったん意識してしまった偏りは是正する方向につとめるよりほかないであろう。少なくとも、この偏りこそが個性なのだ、というかたちで意識に固定してはろくなことにならない気がする。
題詠blog2010、お題「狐」より。
いま売っている『NHK短歌』4月号の「ジセダイタンカ」コーナーに新作五首「よだれ人形」を寄稿しています。よかったら読んでください。
だいたい月に一度くらいは更新する。
前回お知らせしたUst当日から数えて三週間以上たっております。
内容についてはアーカイブが残っているのでそれをご覧いただくとして、私も家に帰ってから動いてしゃべる自分を初めて見たわけですが、あんなに猫背だったとは知らなかった。たしかに今コタツにいる私はひどい猫背だけど、それはコタツのせいだと思いこんでいたふしがあります(「猫はコタツで丸くなる」が洗脳したから)。じっさいはカラオケボックス(当日の会場)でも猫背だったし、たぶん寝てるとき以外はつねに猫背で、それが私の基本姿勢なのでしょう。
出演者の一人、佐々木あららさんの電子書籍の歌集(『モテる体位』『モテる死因』)を事前に読ませていただいてて、その感想など当日話す機会があるかと準備していたけど、なかったので今書くと「床屋が洗髪で『かゆいところありませんか?』と訊かないプロフェッショナリズム」のようなものを佐々木あららさんの歌集からは感じました。つまり自分の椅子に座った客の痒いところはすべて知っている、わざわざ訊ねるようではプロとはいえない、というプライドに裏付けられたストイックなプロフェッショナリズムがそれです。併せて読ませていただいた、やはり電子書籍の句集である石原ユキオさんの『俳句ホステス』をくらべると、こちらは「かゆいところありませんか」「ここどうですか?」「ここもかゆいんじゃないですか?」そう矢継ぎ早に訊かれながら目や鼻の穴に床屋の指がばしばし飛びこんでくる、その「飛びこんでくる指」の不規則さじたいが魅力でありサービスであるような作品だと思いました。短歌と俳句というジャンルの違いが関係あるかはわからないけど、なにか両極端というか、ものすごく対照的な二人の作品だと思った。
ほかにも念のため当日準備してた話のネタがいくつか使わないままあるので、いずれここで書くかもしれない。