はだかでもスリッパ履いてゆくトイレ 窓のむこうの壁はあかるい 我妻俊樹
たぶん、起こっていることの時間的・空間的な把握としては「はだかのままスリッパだけ履いてトイレに行こうとしたら廊下の(トイレの?)窓から外の建物の壁が見えて、窓から漏れる明かりがそこに当たってあかるかった」みたいなひとつながりの流れで読めるんだけど、それがいくつかの短歌的な歪みにさらされてる。そのノイズにどういう態度を取るかが読みどころになるといいなあ、という歌だと思います。
口語短歌にどうノイズを含ませるか、歪ませるかと考えたとき、口語そのもののノイズ性や歪みを定型が懐ふかく保存してくれる、という期待にはちょっとやばいところがあるなと思う。口語にとっては逆に短歌定型がノイズだし歪みなのであり、口語と短歌はけして分かり合えることはないはずで、両者の関係はだからつねに偽装結婚なのです。と思うから。
題詠blog2008、お題「スリッパ」より。