幻想について | 喜劇 眼の前旅館

喜劇 眼の前旅館

短歌のブログ

幻想を幻想として呈示するのがなぜ駄目かというと、それだと受け手とのあいだであらかじめ合意の取れている「幻想」しか作品に存在できないからです。いかにも「幻想的」なものを作中に示すことで、受け手がそこに正確に「幻想」を読み取る、という閉じたやり取りの中でしか「幻想」を確実に受け渡すことはできない。しかし「確実に受け渡すことのできる幻想」はすでに「幻想」ではないという矛盾が生じてしまい、この矛盾への鈍感さが「幻想的」な作品を支える条件になってしまうということです。
われわれが、それがどんなものであれ受け取るしかない、理解できなくともそういうもなのだとあきらめてひとまず受け入れ、解釈は後回しにしておこう、といった態度をとれるのはほぼ「現実」と「言葉」に対してに限られていると思う。
それはわれわれの生存の最ものっぴきならないところに突きつけられているのが「現実」と「言葉」だからですが、「幻想」がこれらに目隠しするように前面に現れてくる場合、それはわれわれの生存と無関係な場所への誘いとなります。しかしわれわれの生存と無関係な「幻想」は模型のような安全なものであり、「幻想」そのものではない。のっぴきならない「幻想」は「現実」や「言葉」の姿をしてあらわれてくるものであって、自ら「幻想」を名乗ることはないし、すべての人に届けられるものでもないわけです。