電報です と車の窓を叩かれて | 喜劇 眼の前旅館

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短歌のブログ

電報です と車の窓を叩かれて夜明けに気づくうす青い土地  我妻俊樹


題詠blog2006より「報」の題の歌。
自動車というのは一種の部屋ですが、そこに人が訪ねてくることはまずありません。窓が叩かれることがあっても、それはいわば車そのもの、または車が明示している商売等に用件がある人(駐車位置を移動してほしい、乗せてほしい、焼き芋を売ってほしい等)であり、自宅にいる人を訪ねるように人が来ることはないわけです。
だからもし「電報です」の声とともに車の窓が叩かれる、しかも夜明けの時分に、という場面が描かれれば、それは「自宅に(電報ですといって)人が(夜明けに)訪ねてくる」のとくらべてずっと稀なことが起きていると感じられる、ということは前提となります。
でもたとえば「飛んでる飛行機のドアが外から「電報です」とノックされる」みたいなありえなさが、ありえなさすぎてかえって何でもありになって緊張感が失われる、という事態はここでは避けたいわけですね。ファンタジーのほうへ箍を外したくないというか。
場面を特殊さ、ありえなさのほうへ限定していくことと、いったん絞り込まれた可能性がそこからふたたび紐を解いて広がっていこうとすること。その二つの力の関係のバランスが、どれくらいうまくいってるかはともかく、気にかけられている歌だとはいえるでしょう。

「これは幻想です」と呈示されたらそれはもう幻想ではないと思う。「これは現実です」または「これは言葉です」しか短歌には(あるいは短歌に限らず)呈示の仕方はなくて、「幻想」はあくまで「現実」と「言葉」の間に事後的に発生するものでしかないと思う。