よく視える瞳は渇く青空のこまかな疵さえも痛がって 我妻俊樹
人間は奥行きを見つめるとき、そこに自分の内部の奥行きを投影するくせがあると思う。だから奥行きのない表面を見つめると、自分の内部も消えて自分がただの表面になった気がして呼吸が苦しくなる。
空の奥行きは浮かんでいる雲によって測るものなので、雲ひとつない空は奥行きのない空です。その輝く表面ぶりは見つめる私の表面を私そのものにする。つまり空とじかに接している部分である瞳が私の全身にゆきわたることになり、空で起きていることが私の全身を使用してもう一度起きるのです。
題詠blog2008、お題「渇」より。