ビデオでジョン・フォードの「捜索者」を見ました。私はジョン・フォードの映画がよくわからないのですが、最高傑作との声もあるこの作品を見ても、やはりよくわからない作家であるという感想は変わりません。嫌いではないし、見ていて心を揺さぶられる瞬間も何度もあるのですが、瞬間以上の長さにその感情が波及していかないのです。映画のほとんどの時間を平常心で過ごしてしまいます。けして退屈しているわけでもありません。
昨日「作品の適切な大きさ」について書きましたが、映画は映画館のスクリーンで上映されるのが適切な、あるべき大きさであるのは言うまでもありません。私はほとんどの映画をテレビ画面で見ています。巨大なスクリーンに包み込まれるように見ることと、二時間という時間に包み込まれるように見るという二つのことのうち、前者を欠いているわけです。私がわからないと感じる映画は前者に作品としての重心がある可能性があります。画面が小さくなるということは、どの映画にとっても平等なハンディキャップというわけではないからです。