(他人の作品について書くことの書きにくさ、とのバランスを取る意味で、気軽に書ける自作自註を並行して書いていきます。自作への愛着はさほど強いほうでないと思うので、自分で語ってもそんな酷いことにならないと思うけどどうか。やはりなるのか。おもにネットにバラバラに散らばってる歌を改めてひとまとめにしとく、という意味もあります。)
駅までの坂を駅からくだるときすれ違う顔にある見おぼえは 我妻俊樹
「花とチャック flowers and zippers」(第五回歌葉新人賞候補作)より。
「駅までの坂を駅からくだる」まででほぼ言うべきことは言い尽くしていて、下句は蛇足というか、上句で圧縮してあったものをわかりやすく開いてるというか、その割にわかりやすくはなっていないのが弱点か。
つまり「駅までの坂」と駅に向かう視点から言い始めたそばから、「を駅からくだる」と視点が反転してる。つまりこの時点ですでにこの歌の話者は自分自身と「すれ違」っているわけです。
しかし短歌形式の半分までで話者が話者自身とすれ違うというのは、いかにもせわしなく、そのせわしなさの内容を読みほどくための余白の訪れまでには、まだ短歌が半分残っている。
私見をいえば、そのようなあきらかな「敗け」に目をつぶることで図々しく成立させた貧乏性感のぬぐえない一首のような気がします。私にはそういう歌がけっこう多いと思う。