カナリア(追記あり) | 喜劇 眼の前旅館

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短歌のブログ

昨日は塩田明彦「カナリア」を見た。こういう現在の日本でつくられた(公開は2005年くらい)、がゆえに危うさをいろんな意味で含んでもいる傑作を見てしまうと、単に普通に感想を書く言葉すら自分は全然持っていないのだと思い知る。
撫で肩で、睨みつけるような大きな目と弱弱しく笑いかけつつ何か話そうとしている口元をした関西弁の少女・谷村美月が、饒舌だと思ったら寡黙だったり、いたりいなかったりする周りにひろがっていた景色がひたすら頭の中をぐるぐると回っている。
ひとつの映画を見るということは、フィルムの終わりが出口ではないような長いトンネルに入ることでもあるのだと思う。


関連URLメモ。
http://www.shirous.com/canary/topics.html
http://www.mube.jp/pages/critique_20.html
http://bataaji.blog53.fc2.com/blog-entry-183.html


追記。
上記一番目のURLは元「カナリア」公式サイトなんだけどTOPページはなくなっているみたい(上記URLからコンテンツは読める)。そこにある監督インタビューを読んで思ったのは、映画というのは監督が演出意図とか主題とかを饒舌に語っても、それが観客の観かたを束縛するものではないのだということ。それはおもに映画が実在する物や景色や人間を撮影することで世界に“開かれている”ことへの信頼が、作り手にも受け手にも共有されているからだろう。
短歌などは(おもに短さによって)そういう意味での信頼がきわめて成立しづらいに違いないが、作歌意図とか主題や解釈を作者自身がためらいなく全部語ってしまっても、読者はそれに堂々と反論できるようなものになればいいなと思う。