他者登場 | 喜劇 眼の前旅館

喜劇 眼の前旅館

短歌のブログ

口語短歌はその「内容の確定できなさ」に本領があると思う。景色や出来事や意見としてプレゼンテーションの弱さが自己完結、他者がいないという評価を受けやすいそういう短歌だが、その歌じたいを他者のつぶやく声として接するのが読み方としては正しい。

作中主体が他者に出会っているかどうか以前に読者が作中主体あるいは作者という他者に出会っている。
あくまで「作中主体の出会っている他者」という自分に身の危険が及ばない他者にしか出会いたくない読者、短歌を「ある人物=作中主体をめぐる現実」という虚構として心配なく消費したい読者には評判が悪くなる。

他人というのはそもそも理解不能だが、たしかにそこにいて何か考えたり喋ったり行動している。というそのことの観察を手がかりに他者の理解に近づこうという態度が一方にあり、他方にはまず社交としてあらかじめ用意されたサークル内の規律的ふるまいを通じ互いに親密さを獲得してから、身の上話のようにその人の他者性も受け入れるという態度がある。

短歌をやっている人は短歌イコールなんらかの集団という意識のもちかたをしている人が多いから、後者の態度に偏りがちなのだろう。
わけのわからない人のつくったものは読みたくないのだ。