昼間は、毎日古事記の旅&時々昼寝。
暑さも、テレビも忘れるわ~。
面白い。
古事記ノートは、2冊目になった。
調べたことは、忘れないうちに書く。
神武東征とニギハヤヒ南征で悩む。
直系男子の息子がいて、なぜイワレヒコに国譲りをしなくてはならないか?
ニギハヤヒとニニギは、本当に兄弟か?
音だけ聞くと、兄弟でも間違いない気がするが、
ウィキで漢字を見て悩んだ。
ニニギの名前は、ヒコが、日高日子
彦っていうのは、アマテラス直系とどこかで読んだ。
そうそう、英彦山があるから彦と納得したんだが…。
天照の息子にも彦がつく、なるほど~とその時は思った。
しかし、ニニギのヒコは違う。
ここで、悩みが始まった。
名前にイメージも、長さも違う。
そして、共存するか戦うか、征服の仕方も違う。
二人は、本当にアマテラスの子孫か?
ニギハヤヒの名前には、彦がつく。
天照も入る。アマテラス直系である。
長い名前に意味がある?
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
これって、彼の血筋を表してるんじゃないかと思った?
つまり、ニギハヤヒが王である正当性ね。
天は渡来系であること。
さらに、国照これは、今後研究。大国主系列?
櫛…出雲クシナダヒメの血
玉…多分 越か?
饒…豊穣 栄えるという意味か 豊の国なら穂・豊が多い
速…スサノオなど港湾川の海神族
日…太陽神を祭る対馬神社の一族か、美保神社神一族。
ニギハヤヒの妻が、天道日女命(アメノミチヒメ)は、美保神社のカミヤタテヒメと大国主との娘。つまり太陽の道を知る一族らしい。だから、彼女たちは、香具山へ行きたがっていた。…天道日女命は、天照の子孫とも、対馬の神の子孫ともいわれる。どちらも、太陽の道を知っている一族らしい。
カタカナで見ていると気づかないけど、漢字で見ると、
天津日高日子瓊瓊杵尊
ニニギには、
高天原・対馬・阿蘇やら雲仙の高い山・南方系の玉・大分臼杵あたりの血か勢力が感じられるのは、私だけだろうか?
つまり、ニギハヤヒは、中国山地から越あたりまでの勢力を持ち、ニニギは、九州の勢力を持っていた。
ニギハヤヒとニニギは兄弟かという、
答えは見つからず。
ニギハヤヒも、ニニギも、筑紫に降臨。
どちらも、遠賀川の上流。
神社が残る。
そして、どちらにもたくさんの物部のエリアがある。
そして、同じところから、
ニギハヤヒは豊の国→四国へと進む。
ニニギは、九州を南下。
熊本・阿蘇・宮崎・霧島山へ進む。
阿蘇神社には、神武の息子や孫・孫娘祀られている。
どちらも、天孫で、同一の目的のために動いている。
しかし、兄弟かどうかは不明。
筑紫は、徐福の子孫が多く、
…福のつく地名が多い。
…機織りなど、徐福の残した技術が奈良時代でも生きていた。
秦氏の拠点でもあるので、
…ハタのつく地名が多い。
彼ら二人は、父親か母親が違っている。
もしくは、支持母体が完全に違っている…と思う。
ニギハヤヒとニニギは、
東征南進の進み方が違う。
ここで悩んで、悩んで、たくさんの動画やブログを読んだ。
・松岡正剛の千夜千冊
・むすびチャンネル 小名木善幸
・常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった
・ドンちゃんの他事総論
この他に、神社巡り関係のブログなど。
…ありがとうございました。
まずは自分で、考えてみよう。