意味と意図 | goldenblue

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「古代の叡智の幼稚園」
エデュケーションとセッションが一体化した新しいスタイル、エデュ・セッションで、魂が導く本来の自分の力を取り戻していくセラピーをしています。

“捨てる神あれば拾う神あり”という状態が、目まぐるしく連続する数週間でした。


最初話した人にダメと言われ、次に来た人にはイイヨと言われ。


困ったと思ったら、解決して。


携帯電話落としたら、30分後には戻って来て。


雨の降る中、スクーターで走行中に、突然エンストして、エンジンがかからなくなりました。

幸いに携帯電話が通じ、充電も電波もあります。

何とかレッカー移動に漕ぎ着きました。


スクーターを引き取ってから、5-6件の店舗にあたりましたが、不具合を見てさえ貰えず1週間経ちました。


次の幾つかの候補をタロットで見てみると、念頭にあった案はNG。


正位置が出た候補も、一旦暗転。


そのカードが2つとも、車輪の意匠。


逆位置の車輪のカードを見た瞬間に

「きっとわたしはこの期間、二輪車に乗ってはいけなかったのだろうな」と思いました。


レッカー車の運転手さんと世間話している時に、前日にトラックと乗用車とバイクが絡む事故を見た、と話していました。


帰りがけにも、“運転気を付けてね”と声をかけられました。

事故を彷彿とさせられます。

もしかしたら、自分事になった可能性だってあるかもしれませんね。無いとは言い切れないです。


起きなかったことを証明することはできないけれど、もしかしたら修理のアテが無かったのも必然だったのかもしれない、と思うと、有難たかったのかも、とさえ思えてきます。


結局その後、タロットの通りに直して貰えました。


以前は何か事が起こると、その“意味”を考えようとしました。意味はこじ付けられます。


今は、この事象をわたしに見せた真我の“意図”を憶います。図は図面。設計図。


良い悪いのジャッジから離れ、全てヨシの視点から見るように試みると、見え方が変わります。

じんわりと時間が粘度を持ったかのように感じられ、その波間に真我の愛の意図が見える氣がします。


大金を失ったり、失いそうになった時に思いました。

「ああ、あのお金はわたしのお金ではなく、神様(スピリット)のお金だったんだぁ」と。


そのお金を使ったのは神(スピリット)であって、わたしに体験を齎し、わたしがどう感じ、考え、捉え、工夫し、行動し、判断し、転じるか。

それらを問うているのでしょう。


スクーターの修理の目処がたたない間も、すんなりいったら見えなかったであろう人との関わりを考えさせられました。何が大事か。


問題が起きてから、痛い思いをしてからでは遅いのだけど、事が起きるまで學べ無いことってあるのですねー


追記

スクーターを修理に出すため、軽トラにスロープを掛けて乗せようとしましたが、エンジンのかからないスクーターは、たとえスロープがあっても、重くて持ち上がらない!

半泣きで(泣きはしませんが)、1時間程思案しながら、気合いで乗せましたよ〜


追記2

タロットで逆位置が出ていた車輪の意匠ですが、タロットに質問した時、“バイク直らなかったら買い替えかなぁ”というのも念頭にあったのですが、「それは無い。今では無い。」が答えです。

ダブルミーティングで見せてくるタロットって、本当に凄いなぁ。


追記3

大金を使ったのは神様(スピリット)だぁ!と書きましたが、入金を司っているのも神様なんだなぁ、という実感です。

スピリチュアルな「仕事」って、自分には分かります、これは「わたしの仕事」だって。分かる様になったのは、50歳過ぎてからですが。

三次元社会的には、仕事=経済を支えるもの、ですが、霊的には、必ずしも生計を成り立たせているとは限りません。

これまでは、仕事をして生計を成り立たせていれば、社会的認知と一致し、認められ、自己満足を越えている、という説を信じようとしてきましたが、わたしはわたしの仕事をすれば、収入はスピリットが帳尻を合わせてくれる、というのが、今のところわたしにしっくりくる実感です。

その方が心理的圧が少ないです。

どんなに良いものでも、セールスの作為が入るのは違うし、心が満ちません。

もちろん金銭授受が伴うサービス提供はありますが、セールスの作為を伴わないサービス提案はありえます。

何故こんなにお金のことを書くかというと、わたしの中の「問い」に応えがやってきて、内的感覚の氷解を感じているからです。

30年近く問い続けてきた問いの応えなので、感謝と共に記しておきます。

別記事で関連事項を記す予定です。

この長年の問いに対する応えね連続は、個人的現象を超えているなぁ、と思います。

地球に降り注いでいるのか、地球から湧き起こっているのか、何れにしても地球規模の時の到来が、わたしたちの意識に用きかけているのかもしれませんね。11/1