【深圳】日本人児童死亡、容疑者に前科あった(9/20)

 

18日、日本人の男子児童(10)が男に刃物で切りつけられ、治療の甲斐もなく、19日未明、亡くなりました。地元警察は44歳の男を拘束。中国国内では報道されておりません。男の子の御冥福をお祈りいたします~お願い

 

 

9月18日は、中国では「国辱の日」とも言われています。

 

93年前の9月18日、旧日本軍は中国の柳条湖付近で鉄道の線路を爆破。これをきっかけに満州事変が勃発し、旧日本軍が当時の満州を占領しました。(引用終了)

 

 

日本人男子児童刺殺事件の黒幕は、アメリカイギリスだと思いますよ。よって、中国政府は事件を報じられないのでしょう。

 

戦争する国には、敵対する感情(憎悪など)が必要です。仲が良い国家同士が戦争をする必要はありませんからね~。

 

自民総裁選の有力候補から「改憲」言及相次ぐ(7/25)

 

間もなく任期終了となる岸田文雄首相、次期総裁候補の多くが改憲の必要性に言及しています。スンズロー以外の候補者が総裁になっても、憲法改正を目指すと思いますよ。自衛隊派遣だけならまだしも、その先があります。

 

(参考)

総裁選候補が掲げる憲法改正、自衛隊明記の賛否(9/19)

 

 

大地震が起きても生き残る人は一定数出ますが、これからの戦争では老若男女問わず、日本国民壊滅になってもおかしくありません。広島&長崎に落とされた原爆どころではないからです。

 

恨みもなく、縁もゆかりもない人たちを殺しに行くのが戦争ですよ。大の男が女子高生みたいに「地震が起きないように祈りましょう~」といってるのを見ると情けなくて仕方がないわ~無気力

 

グダグダ言っても仕方がないので、過去記事をお読みください。飛鳥先生の著書からの抜粋だったと思いますが、現在の情勢にピッタンコです~虹

 

アメリカの日本再占領(2)(2017/11/10)

 

アメリカは、明治維新後の日本が、富国強兵路線でロシアに勝利した姿を見ていたが、日本の勝利は、首の皮一枚を残した勝利に過ぎなかった。当時のロシアは、レーニンの革命運動が続発し、日本との戦争にかまけている状況ではなかったからだ。

 

一方の日本は、戦争を継続する予算が底をついて喘いでいた。そんな最中、アメリカが助け舟を出して仲介の労を取ったのである。このままでは本気になったロシアに日本を奪われかねないからだ。

 

そこで「ポーツマス講和」で領土と賠償金を求める日本をなだめ、戦争継続気運が高まりかねないロシアを説得し、「樺太割譲」で日本とロシアを説得した。

 

 

その後、アメリカは、神国日本不敗論に酔い狂う日本軍に注視し、中国で暴走する関東軍の様子を見定めていた。そして絶好の機会が訪れる。「満州事変」である。

 

1931年(昭和6年)、「南満州鉄道」が爆破される「柳条湖事件」が発生し、関東軍が清朝最後の皇帝・溥儀を担ぎ出して満州国を建国した。

 

 

それが国際法上の正当か否かを決定する「リットン調査団」が派遣されたが、リットン自身がアメリカと同盟国のイギリス人であり、顧問にアメリカのフランク・ロス・マッコイ陸軍少将が加わっていた以上、答えは目に見えていた。当然、日本に不利な結果が下され、日本は「国際連盟を脱退」することになる。

 

 

孤立化を深める日本をアメリカは手ぐすね引いて待っていた。1937年(昭和12年)の「日中戦争」を機に、アメリカは戦争継続に不可欠な「石油」「鉄くず」の輸出を制限する「ABCD包囲網」で日本に圧力を加え、窮地に陥った日本が窮鼠猫を噛む状況を作り出した。

 

(※ABCDは米国、英国、中華民国、オランダの頭文字)

 

後は日本から先にアメリカに手を出させる切っ掛けを与えればいい。それが、アメリカが最終結論として日本に送り付けた「ハル・ノート」だった。そこには、日本の全ての妥協案を受け付けず、中国からの日本軍の全面撤退のみが通告してあった。

 

ルーズベルトはホワイトハウス作成のハル・ノートを日本に渡す際、「我々は日本をして最初の一発を打たせるのだ」と言ったとされる。アメリカは日本にパンチを打たせる目的で、先に日本に蹴りを入れたのである。

 

 

東京裁判の席で、インドのパール判事は、「アメリカが日本に送ったのと同一の文書を他国に送れば、非力なモナコ公国やルクセンブルク公国でさえ、必ずアメリカに対して武力を持って立ちあがっただろう」と語った。

 

 

しかし、アメリカは「事後法」を盾に日本を“平和の罪”で裁き、「リメンバー・パールハーバー」の言葉を世界に席巻させた。かくして日本は世界の悪役となり、アメリカは世界を救ったヒーローとなった。

 

そして現在、邪魔になった「憲法9条」を自民党と公明党によって骨抜きにし、TPPを絡めながら、中曽根元総理大臣の「日本不沈空母論」の約束を果たさせるため、ついに日本の再占領に乗り出そうとしていた。(転載終了)

 

【昭和史のタブー】神なき日本人の罪意識(2)(6/24)

 

◎1931年9月18日・・・満州事変(柳条湖事件)

 

◎1932年3月1日・・・満州国建国(ハルビンを掌中に)

 

◎1933年・・・ハルビン郊外・背陰河に「加茂部隊」を秘密裏に発足。この施設で中国人の生体実験開始。

 

◎1936年・・・加茂部隊(又は東郷部隊)は「関東軍防疫部」として日本陸軍の正式な部隊になる。

 

◎1937年7月7日(七夕)・・・盧溝橋事件

 

◎1938年~1939年・・・加茂部隊は秘密部隊に変容する。

 

◎1939年5月~9月・・・ノモンハン事件

 

◎1941年8月・・・加茂部隊は「満州第731部隊」に。

 

過去記事