【中央本線】東京から名古屋まで中央線で行くと

 

中央本線は、東京駅から新宿駅、長野県の塩尻駅を経由して、愛知県の名古屋駅までを結ぶ鉄道路線(幹線)です。

 

2022年~変化と覚醒の年(8)(2022/6/1)

 

●JR東日本の管轄・・・東京駅~塩尻駅

 

「すずめの戸締り」に登場する【御茶ノ水駅】があります。

 

●JR東海の管轄・・・塩尻駅~名古屋駅

 

区間や系統別に「中央東線」「中央西線」「中央線快速」など、様々な呼称がある。(中央本線・wikiより)

 

 

人間にとって塩と水は、お金に換えられないほど貴重です。

 

海に囲まれていない信州では、日本海側と太平洋側から塩を運ぶ【塩の道】がありました。

 

その中でも、糸魚川から千国街道、松本街道を南下して塩尻にいたる道が有名です。塩尻市の命名の由来なのでしょう。

 

 

17日朝、長野県南部を震源とした地震が発生しました。最大震度3を記録したのは高山市です。

 

岐阜県で震度3(4/17)

 

★発生日時:4月17日 7時16分頃


★震源地:長野県南部


★位置:北緯 36.0度、東経 137.6度
 

★震源:M3.3、深さ約10km

 

★震度3:高山市

 

 

 

震源地(赤印付近)は、長野県と岐阜県の県境です。

 

高山市方面に目をやりますと、国道41号線が走っており、長野方面に目をやりますと、中央本線の塩尻駅があります。

 

 

そして、前記事の『南海トラフと連動する可能性もある』の最終回の文末で過去記事4点を紹介し、その中に登場する「〇山」の座標は・・・北緯36.02度、東経137.11度です。

 

つまり、緯度は震源地とほとんど同じで、経度が違うだけです。長野県と岐阜県の違いですから当然ですが・・真顔

 

★過去記事(会員登録後にトークルームへ)

「南海トラフと連動する可能性もある(1)~(4)」

 

飛騨一宮水無神社

飛騨06

 

また、飛騨一宮の水無神社は、太平洋戦争末期に「草薙の剣」を当神社に避難させた話は都市伝説界では有名です。

 

そうなると、最近頻繁に出されるサイン「スメラミコト」とも繋がってきます。古代における天皇の呼び名ですから~。

 

震源地の近くには目立った名所はないのですが、【水無し八丁(弁財天)という謎の神社を発見しました。

 

調べてみると、この地域に語り継がれてきた伝説に関係し、弘法大師さんとも繋がり、ビックリポン~びっくり

 

転載しますのでお読み下さい。では~おねがい

 

【末川の水無し八丁の伝説(木曽町開田高原の昔話)

 

末川の上流、小野原集落の奥に「水無し八丁」と呼ばれる場所があります。そこは昔、末川の流れを中にした木曽馬の放牧場でした。
 

昔、小野原にひとりの子供がいました。ある日、子供は家の人に馬を迎えに行くように言われ、いつものように背中に赤ん坊を背負って出かけました。
 

木曽馬は人なつこくて、迎えの人が遠くで、「ホーイ、ホーイ」と呼ぶと、すぐに近くまでやって来るのですが、その日はどうしたことか、子供がいくら呼んでも近寄ってきません。

 

開田高原

 

馬たちはそろって末川の流れを渡り、向こう岸で草を食べていたのです。川を渡りたくても橋はなく、大声で呼んでみても、川の音にかき消されて声が届きません。

 

そうこうしているうちに陽が暮れて、あたりはだんだん暗くなっていきます。背中の赤ん坊はおなかが空いたのか泣き出し、子供も心細くなって、しくしくと泣き出してしまいました。
 

ちょうどその時、そこへひとりの旅の僧が通りかかりました。僧は泣いている子供を見て、「なぜ泣いているの」とやさしく尋ねました。子どもは泣きながら、向こう側にいる馬の群れを指して理由を話しました。

 

 

それを聞くと僧は、「それは気の毒に」と大きくうなずき「それでは私が何とかしてあげましょう」と言って、川に向かってお経をよみ始めました。それから持っていた杖でトンと地面をひとつきしました。

 

すると不思議なことに、満々と流れていた川の水が次第に川底へしみ込んでいき、ついに川原となってしまいました。子どもは大喜びで向こう岸から馬を連れてくると、僧にお礼を言って集落に帰りました。

 


 

子供と馬の群れが集落へ向かうのをじっと見送っていた旅の僧は、間もなく夕闇の道を月夜沢峠へと歩いて行きました。
 

このことがあってから、この地は「水無し八丁」と呼ばれるようになり、九百メートル位の間は今でも水が全然ないそうです。
 

また、このたびの僧は、当時日本の各地を歩いて百姓たちを救っていた弘法大師であったと言われています。(引用終了)

 

★過去記事