トンネル工事で落盤、1人死亡 高山市(NNN)

事故があったのは、高山市一之宮町の宮峠トンネルの工事現場。警察によると、3日午前3時半ごろ、作業員5人がダイナマイトで岩盤を発破したあと、岩を取り除こうとしたところ、岩盤の一部が崩れ、高山市の会社員・安岡義久さん(34)が下敷きになった。安岡さんは病院に運ばれたが、約1時間後に死亡が確認されたという。

飛騨03

宮峠トンネルは、急カーブ・急こう配が多い国道を回避する幹線道路として整備中の石浦バイパスにあり、200メートルほど掘り進んでいたという。(引用終了)

「国土交通省 高山国道事務所HP」より
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飛騨01
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今日は12月3日、「一二三(ひふみ)の日」でした。福岡の「香椎宮」の記事をアップした途端に国道41号に関連する事故が起きました。場所は高山市一之宮町です。

宮峠トンネルは国道41号の益田街道部分にあるトンネルです。現在、上図のようにトンネル工事をしています。近くには「飛騨一宮水無神社」があります。

12月1日に仲間のひとりから聞いた夢の話は、北陸自動車道の橋が崩壊するというものでした。今回はトンネルですが、似ているような似ていないような・・・。この方は1月15日の軽井沢スキーバス事故の予知夢を数日前にみておりました。

国道41号(41は神の数字)については何度も取り上げておりますが、「一二三の日」のメッセージと考えられます。

(参考) 昇龍道の旅(8)「神通川と国道41号」
「金色のドジョウ」と「全身ピンクのバッタ」

飛騨一宮水無神社
飛騨06

昇龍道の旅(14)「羽(Wing)③」より

位山(Wikipedia)より

飛騨高地の中央に位置する岐阜県高山市の標高1,529mの山。 飛騨北部と南部の境界であり宮川と飛騨川の分水界である位山分水嶺の山。 飛騨一宮水無神社の神体である。(引用終了)

位山02

≪飛騨一ノ宮 UFO伝説≫

飛騨一之宮にある霊峰位山は、世界最高のパワースポットとして神秘とパワーに満ちた謎多き山です。例えば、天の岩戸のそばにある四角の岩3つが、UFOの着陸目印であったと言われています。位山には人手では運ぶことの出来ない巨石が多数あり、UFOが運んだと言われています。

また、位山の遺跡は祖先である地球外生命体と地球人類(天孫降臨民族)が交信を行うための神殿であったとも言われています。

高天原は日本にはいくつもあり、中でも一番古いのが飛騨高天原で位山がその中心となり、天照大神の幽の宮(かくれのみや)があります

飛騨一宮水無神社のご神体であり、古来より霊山として崇められています。天孫降臨や両面宿儺、UFOなどの伝説のある謎多き山であります。(続きは元記事でお読みください)

飛騨07

位山にUFO伝説があるとは驚きました。飛騨一宮水無神社には秘話があり、非常に大事な神社であることが伺えます。

11月22日に飛鳥氏の動画で知ったことですが、終戦の昭和20年夏に名古屋の熱田神宮が妙な動きをしました。草薙の剣を一時、飛騨一宮水無神社に隠していたのです。敗戦が濃厚になったために、万が一のことを考えてのことで、9月には熱田神宮に戻されたとのことです。

北斗遺跡に「清酒・縄文明水」を献酒(11/7)
北斗

さて、下記に11月14日の木花咲耶姫様の御神示を掲載しますが、どのタイミングで掲載するか迷っていたのですが、本日の飛騨・宮峠トンネル事故によって背中を押されました。

どんな人にも≪郷土愛≫があると思います。また、郷土ではないけれど好きな街もありますよね。

「わたしは風情がある京都が好きだわ~」
「僕は異国情緒がある神戸かな?」
「京都もいいけど金沢もいいわよ~」
「わたしはグルメの街、福岡かしら?」

「好きな街」は千差万別ですが、それって郷土愛ではなく、ご自分の趣味、感性に合うとか、好みの問題だと思いますし、愛というほどの深いものではないでしょう。

郷土のことを一番愛し、一番心配しているのはそこに住んでいる方々です

北海道は明治維新までアイヌの人々が住んでいた土地柄ですから、創建が古く由緒ある神社仏閣というのはほとんどありません。自然が神々みたいなものです。

ですから、飛行機を使って何日か宿泊しないと、本州の神社仏閣に参拝、参詣はできません。夫婦となると軽く20万円は超えてしまいます。地元にお住いならば、交通費数千円で済んでしまうのではないでしょうか。

≪一二三の日のメッセージ≫をどうとらえるか、これもまた個人の自由意志になりますが、位山は分水嶺の山であるということを、よくよくお考えください。m(__)m


神社に詣でよ(11/14 木花咲耶姫様の御神示)

日本にはどの地域にも神社あり。
心の奥に社をたて神を感じられることができるなれば、神社も鳥居も神棚も必要はなし。

なれど神は目に見えぬなれば、聖域とする神社の存在は人間には必要なり。神が目に見えらば信じると言う者あり。なれど見えぬからこそ人が真に神を敬うや否やを見分けらるる。

霊魂とて同じなり。
お墓詣りも仏壇を拝む心も霊魂は目には見えぬなれど、心のどこかにあの世があるを想い、御先祖様が迷わず成仏できるよう自然と手を合わせるのがそもそも人間の姿ならん。

神を信ずるといくら言葉にするも神の目は誤魔化せぬ
近代化はさらに神を遠ざけることとなりにけり。
神社も祭りも段々と数は減るばかり。

神社がその場所にあるは意味ありなん
その場所に神社を建てよとの神の御神託ありてそこにあるを、人間の都合で勝手に場所を移すも、壊すももってのほかなり。
鳥居とて意味ありて建てらるる。

イザナギ、イザナミの神が、この世を平和に導かれんとその時代の政事の象徴としと建てられたるものなれば、聖域に入る為のありがたき通り門。

日本の神代のときから受け継るる尊き文化、そを汚すことも、無くす事も、神は許さず。

荒れ狂い、人間性の乱るる今こそ、神社仏閣に詣で聖域の気を頂き、平和を祈り、神への感謝を捧げねばならぬ。神は如何なる時も助くる者を助く 。その言葉を忘るるなかれよ