58年ぶり…京都・祇園祭『山鉾巡行』が中止へ(4/17)

祇園祭山鉾連合会によりますと、新型コロナウイルスの終息が見通せないとして、毎年7月に行われている山鉾巡行を中止する方向で検討しているということです。中止となれば58年ぶりとなります。

 

 

豪華絢爛な山鉾が京都市内をまわる山鉾巡行には、毎年10万人以上の観光客が訪れていました。祇園祭は平安時代に鉾を立てて疫病の退散を祈ったことが起源とされていて、通常通りの実施を求める声も出ていました。(引用終了)

 

 

20日に正式な会見が行われますが、7月17日に行われる「山鉾巡行」は、ほぼ間違いなく中止となります。13日の「救世観音の特別公開、相次ぐ祭りの中止」で申し上げたとおり、8月初め開催の「青森ねぶた」が中止なのですから、当然と云えば当然ですね。

 

日本に帰って来た古代ユダヤ人(天下泰平さん)より拝借

 

祇園祭の山鉾巡行は7月17日開催と決まっており、別な日に変更することは絶対にありません。なぜかというと、「ノアの箱舟」がトルコのアララト山に標着した日が7月17日だからです

 

ペガサスと‟契約の箱アーク”(3/21)より

 

「箱舟」は『Ark』、ライブハウス『Arc』は円弧の意味でしたね。祇園祭に関する異変は2018年から起きていました。最も強烈だったのは、2019年7月18日(山鉾巡行の翌日)に起きた「京アニ放火殺人事件」です。文末の過去記事を参照してください。

 

祇園祭の起源が疫病退散の祈りだったことは知っていましたが、その場所が二条城近くにあります「神泉苑」だったことは今回知りました。キョロキョロ

 

7月24日祇園祭還幸祭 神泉苑拝礼神泉苑HPより)


平安時代に都で疫病が大流行し、その原因は朝廷に反抗し、非業の死を遂げた六柱(早良親王など)の御霊にあるとされました。そこで貞観5年(863)に、御霊を鎮めるために神泉苑で御霊会(ごりょうえ)を行いました。
 

 

平安京だけでなく、貞観地震富士山の噴火など全国的な災害が相次ぐ中で、貞観11年(869)には日本の国の数である66本の鉾を建立し、神泉苑にて祈願しました。この御霊会が現在の祇園祭へとなっていきます。(転載終了)

 

(参考)神泉苑(Wikipedia)、祇園祭(Wikipedia)

 

神泉苑といえば、空海さんが雨乞いの祈願をした場所ですね。ただし、御霊会が行われたのは、空海さんご入定後のことで、真言宗の寺院ではあっても、空海さん(835年4月22日没)が御霊会をされたわけではありません。

 

【神泉苑】~密教界最大の超人~空海(1)(2019/10/04)より

天長元年(824)2月、宮中の神泉苑で修した請雨経(しょううきょう)の法も、歴史に名高い。この年、天下のいたるところで日照りが続き、池や川の魚が死に、農作物も枯れ果ててしまった。人々の苦しみに、天皇は各地で雨乞いの祈願をさせたが効果なく、空海に祈雨を命じたのである

 

 

空海が神泉苑に築いた壇上で、真言を唱え祈雨の念をこらすと、薄雲が湧き起こり、やがて厚い雲となって、天地を暗くするほどの激しい雨が降り始めた。『その時神泉苑の池に、丈余の蛇に乗った金色の龍が現れた』と、古書は伝えている。こうした空海の民衆のための修法祈祷は、その生涯で51回に及んでいる。(引用終了)

 

(過去記事)

【2019年秋・関西の旅】~神泉苑・泉涌寺(2019/11/29)

祇園祭・花傘巡行中止と「対照的な夢」(2018/7/22)

スサノヲの刀で開く新時代の扉(5)(2018/7/20)

気になることには意味がある(58)(2019/7/9)

祇園祭で賑わう京都で放火テロ(2019/7/18)

 

京都市民の方、京都近郊にお住いの方は、神泉苑にお参りされてはいかがでしょうか。勿論、「疫病退散の祈り」をお願いいたします~神社