福井・玉川岩盤崩落事故(平成元年7月16日)

1989年(平成元年)7月16日午後3時30分頃、越前町玉川の国道305号で高さ40 m(推定重量1,500 t)にわたる大規模な岩盤崩落が発生、落石防止用の覆道(ロックシェード)を突き破って、現場を走行中のマイクロバスを押し潰した。この事故でバスに乗っていた15人全員が死亡した。事故の瞬間はバスの後方を走っていた乗用車により偶然ビデオ撮影されており、轟音とともにバスが一瞬で押しつぶされる瞬間が写っていた。(国道305号より引用)

 

「月刊ムー」には、「怪奇ミステリー体験」という読者からの投稿ページがあります。昨日購入した「月刊ムー7月号」から、滋賀県在住の読者からの投稿をご紹介します。

 

【ご先祖様のお陰で、間一髪崩落事故から免れた両親】

 

これは、今から30年前に、私の父と母が旅行中に体験した不思議な出来事です。1989年7月16日の午後3時30分頃、福井県越前町玉川の旧道305号線で大規模崩落事故が起き、走行中のマイクロバスが一瞬にして押しつぶされ、滋賀県の市場関係者15名全員が圧死してしまうという、何とも痛ましい事故がありました。

 

 

この旧道305号線という道路は、進行方向にずっと日本海を眼下に見ることができる、とても景色のいい道路でした。その事故が起きる前日の7月15日に、私の父と母が福井県にある、確か芦原温泉だったと記憶していますが、父が自ら愛車を運転して、泊りがけの旅行に出かけていました。

 

昇龍道の旅(1)(2016/9/8)より

 

R8

 

翌日の16日、父と母は帰宅するために、自宅のある滋賀県に向かって国道8号線を愛車で走っていました。そのうち、父と母のどちらからともなく「日本海が見たいね~」ということになったそうです。そして、父がハンドルを8号線から旧道305号線の方向へ切ろうとしました

 

 

ところが、なぜかハンドルがその方向へとうまく切れません。ロックされている、というようなことではなかったようですが、305号線に向かおうとした瞬間だけハンドルがスムーズに動かなかった、ということでした。車の運転に慣れていた父にも、そんなことは初めての体験だったそうです。(長くなるので省略しますが、再びトライしても同じだったそうです)

 

そうこうするうちにも、日本海を望める305号線へと繋がる道は後方へと過ぎ去り、もうどうすることもできません。仕方なくまたそのまま8号線を走り続けたのですが、その前やその後の車線変更やカーブを曲がる時などには、全く何の支障もなくスムーズにハンドルが切れただけに、その不思議さに父も母もただ首をひねるばかりだったと云います。

 

 

やがて無事に自宅へと帰りついた両親ですが、翌朝の新聞のニュースで「305号線での崩落事故」を知ることになります。父によれば、305号線に向かおうとしてハンドルが切れなかったのは午後3時頃のことで、もしそのまま進路変更ができて305号線に向かっていたとしたら、まさにその崩落事故が起こったころには現場を通りかかっていたはずだ、とのことでした。

 

 

そのため、あの時305号線に向かう道にハンドルが切れなかったのは、きっとご先祖様がそちらには行くなと引き止めてくださったのに違いないと、父と母はとても真剣に私に話していました。

 

そんなこともあって、我が家では今も、毎日、神棚と仏壇にお参りする習慣を続けています。昨年、父は94歳で亡くなりましたが、母は92歳となった今も元気に暮らしております。(以上、少し編集しております)

 

(過去記事)

人間万事塞翁が馬(2)(2018/12/01)
「神様ありがとうございます」(2017/2/21)