1985年 Nステ第1回放送翌週に阪神優勝

 

33年前の10月16日阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝を決めました。ビデオは少し長いのですが、久米さんの軽妙な語りと、阪神の歴史と世相が上手くまとめられていますので、是非ご覧ください。

 

 

いやはや、朝から驚きました。照子さんの本日の「世見」を読みましたら、1985年(昭和60)の阪神タイガース優勝とJAL123便墜落事故について触れていたからです。

 

巨人の高橋監督、阪神の金本監督がそろって辞任し、後任が噂にのぼっておりましたが、昨日の報道では、矢野燿大2軍監督(49)が就任するようです。

 

それはさておき、先週の11日夜に阪神ファンの方と長話をして、私の方から、「1985年の阪神優勝とJAL機の件を思い出しますね~」と野球談議をしていたのです。そして、リーグ優勝を決めた16日には、この話題を記事にしようと決めていたので、本日の「世見」にはビックリポン~!?です。

 

33年前の喜び、そして悲しみ(10/16 世見)より

 

あの日から、33年も経ってしまった――。
阪神タイガースが悲願の21年ぶりのリーグ優勝。この文字の嬉しかったこと。まさかの読売新聞までもが、「栄光の猛虎軍団」なる特集紙面を飾り、号外まで配られたのが33年前の今日です。

 

“バース・掛布・岡田”の三勇士による、バックスクリーン3連発。阪神ファンだけではなく、大阪にも神戸にも、六甲おろしの歌がこだましました。1985年10月16日のことでした。日本シリーズも勿論勝利!吉田監督が宙に舞った日のことを忘れられません。
 

1985年の夏は、とても悲しい夏でした。


 

友人もあの日、航機墜落事故でこの世を去ったのですが、ご遺体のない葬儀でした。後から聞いた話では、アメリカのどこだったかの基地では日航機墜落をいち早くキャッチしていて、捜査協力を申し出たそうです。

 


 

8月12日19時13分、時事通信が配信する前、すでにアメリカ軍はわかっていたのです。次の日の午前11時、4名の生存者が発見されました。もしも、もう少し早い対応ができていたら、後何名かの生存者もいたのではと思い、未だに心が凍ります。

 


 

友人は、ズボンのポケットに証明出来るものが入っていたために身元がわかりましたが、墜落現場は直視できない光景だったといいます。友人も大の阪神ファンでしたから、阪神タイガースの優勝はそりゃ嬉しかったはずです。未だにこの事故の原因は完全にわかってはいません。「修理ミス」と言われていますが、心が痛みます。

 


 

上空からヘリでの捜索で墜落は確認出来たものの、場所がわからなかったとは言われますが、アメリカ軍の基地ではどうもわかっていたと言われているだけに、この墜落事故には謎があるように思いたくなるのです。確か、この日航機には球団社長も乗っておられたと覚えています。飛行機事故は、いつ又起きるのかわかりません。(転載終了)

 

(過去記事)人間の運命はわからない(216/12/01)

気味が悪いシンクロニシティ2連発(2017/8/13)

落下物相次ぎ、群馬・上野村ではヘリ墜落(2017/11/08)

【再びの頭文字D】と防災ヘリ「はるな」が墜落(2018/8/10)

 

 

気になったのは、吉田義男監督、選手の背番号です。

 

吉田義男監督➡81番➡日本の国番号、光、天神、仙台、静岡

バース➡44番➡天帝、天使、SPACE、ハート、讃岐、福岡

掛布➡31番➡回転、オアシス、天空、大気、天保

岡田➡16番➡開演、芯、気合い、円空、足、苔、柿

木戸捕手➡22番➡基礎、鷹、空海、イエス、解禁、大津

 

 

吉田監督の「81番」にも驚きましたが、木戸捕手が「22番」で、バースの背番号が「22×2=44」とはねぇ・・・キョロキョロ

 

とにかく、1985年(昭和60)という年は異様な年でした。北海道は巨人ファンが多い土地柄なのですが、弟が江夏ファンだった関係もあり、我が家は「アンチ巨人、阪神応援団」でした。

 

「阪神が優勝するなんて今世紀中はないでしょう~」

 

・・・と断言するほど全然期待していませんでしたあせる。熱狂的なタイガースファンの方々、ごめんなさい。ショボーン

 

 

その後、阪神タイガースは、2003年に星野仙一監督の元で、2005年には岡田彰布監督の元でリーグ優勝を果たしております。来年以降の活躍に期待しています~野球王冠1