記事のタイトルに違和感を感じた読者がおられるかもしれませんが、これは三次元的、物質的な表現ですのでご理解ください。

 

「何もないからいいのだ」(釧路⇔厚岸を走る列車)

 

20年以上前のことです。釧路市の隣町・厚岸町に仕事で行き、その帰路のことです。1両編成のディーゼル車に乗っていました。4人掛け椅子の向かい側に30代ぐらいの女性が座っていました。

 

 

女性は東京からいらした方で、毎年9月に道東を訪れるそうです。

 

「これからどうされるのですか?」

「今晩は釧路市内のホテルに泊まり、その後は決めていません」

「札幌に行かれたらどうですか?」

「いえ、札幌には行ったことがありますし、都会は嫌なんです」

「この辺には何もありませんよ、湿原は見られたでしょうし・・・」

「なんにもないからいいんです」

「へぇ・・・地元の人間にはよくわかりませんね~」

「こうやって車窓から景色をみたりするだけでも癒されるんです」

 

大体こんな会話でした。先日、「東京にわか生活者」を経験しましたが、この女性の気持ちが少しわかったような気がします。

 

(過去記事)東京にて(4)【孤独の街】(4/24)

 

「赤ちゃんは泣くのが商売」(イメージ図)

 

4月1日の「【6と7の架け橋】人生の設計図(4)」において、「バス車内で赤ちゃんの泣き声に怒った高齢者の乗客が『降りろ!』と強制するそうですよ」と最近の世情についてお伝えしました。

 

赤ちゃんは泣くのが商売です。「お腹が空いた」「オムツが汚れている」だけが泣く理由ではなく、眠たい時、機嫌が思わしくない時にも泣きます。

 

 

人間生きていれば「音」を出すものです。オナラ、くしゃみ、いびき、あくび・・・等々。ましてや赤ちゃんの場合、人間世界の常識、習慣などは知らないのですから、本能のままに生きています。

 

 

都会は人口が多いので、人々の足音、電車の音、アナウンスは聞こえます。しかし生活音が聞こえない。ふとある事に気づきました。

 

狸小路(札幌市中央区)

 

娘の自宅は、JR中央線のとある駅前の一方通行の細い道を歩いて5分ぐらいの場所にあります。道民の方にわかりやすく説明しますと、札幌の狸小路よりも狭いと思われる道幅です。

 

驚いたのは、その道を路線バスが走っているのです。確かに対面通行はできない道幅です。そのことに驚いたのではありません。

 

「東京23区内だから仕方ないよねぇ~」

 

両端はレンガの色で区別された歩道になっています。10日間毎日その歩道を歩きましたが、後からバス、タクシー、トラック、乗用車がやって来ますが、一度もクラクションを鳴らされなかったのです。

 

つまり、歩行者が背後のエンジン音に気をつけながら歩かなければならないのです。それこそ忖度歩行ですね。こちらは慣れていないものですから、脇にバスがいてビックリ!びっくり でした。

 

それでも、運転手さんは「プッ!」というクラクションを鳴らしません。運転手さんたちのストレスは相当なものだと思います。娘たちには尋ねませんでしたが、都内では、非常の場合以外はクラクションを鳴らしちゃだめなことになっているのでしょうか?

 

除夜の鐘反対、幼稚園・保育園の建設反対、赤ちゃんの泣き声に耐えられないから「降車せよ!」・・・そんなに「生きている証の音」が嫌ならば、山奥で仙人生活するしか道はないですよ。

 

「そんなこと出来るわけないでしょ!」

 

人口が多い、何でもある都会(物質的に)で暮らしながらも、静かでなければ嫌・・・自己矛盾に気づいていない、田舎者からすれば気味が悪い話です。

 

「育児に悩み」母親 5階から長女投げ落とした疑い(5/1)より

 

大阪市での事件ではありますが、どんな点に育児の悩みがあったのかは知りません。わたしには、お母さんの「とにかく泣かないで、お願いだから!」という悲鳴が聞こえてくるのです。

 

東京でのある日、ドトールコーヒーの店内から道行く人々の姿を見ながら、「電車が幾日も止まり、ATMも止まり、スーパーやコンビニの棚に何もなくなったら、この人たちはそれでも『静かな生活が一番!』と思うのだろうか?・・・」と思いました。

 

不快に思われた方がおられましたら、申し訳ありません。お願い

 

東京ららばい(昭和53年 中原理恵)