江夏の21球(NHK 1983年1月24放送)

 

衣笠さんの一言、「江夏豊の21球」生んだ 鉄人を悼む(4/25)

「江夏豊の21球」の時の衣笠祥雄さんの姿が、やはりまぶたから離れない。1979年だった。広島と近鉄の日本シリーズ第7戦。リリーフエースの江夏は、ピンチをむかえていた。1点リードの九回裏一、三塁。広島の古葉竹識(たけし)監督は池谷公二郎と北別府学にブルペンでの投球練習を命じた。延長戦も想定しなければならない。監督としては当然の判断だ。

 

 

が、江夏の表情が変わった。「何しとるんや。おれに、よう任さんいうのか」。そんな気持ちを衣笠さんだけが察知したのだ。無死満塁になり、マウンドへ行った。「お前がやめるなら、おれも一緒にやめてやる」。瞬時に言った。これで江夏は落ち着いた。ピンチからの脱出は、この衣笠さんの一言がなければ生まれなかった。(引用終了)

 

(参考) 江夏の21球(Wikipedia)

 

旧ブログ時代にも取り上げましたNHKドキュメント「江夏の21球」は名作中の名作です。24日の「根室で震度4の地震、“鉄人”衣笠さん死去」で衣笠祥雄さんの訃報をお伝えしましたが、26日に盟友・江夏豊氏が葬儀に参列されました。お年を召されましたね。

 

衣笠さん葬儀に江夏氏参列、チームは28日に喪章(4/26)

 

24日の「東京にて(4)【孤独の街】」におきまして、後楽園球場で「日ハムVS西武ライオンズ」の試合を観戦した想い出をお伝えしました。年齢がばれるので詳しいことは述べませんでしたが、当時一緒に観戦したのは「江夏ファンの弟」でした。野球

 

バックネット裏で観戦したのですが、試合後半に「ピッチャー江夏~」というアナウンスがあり、場内に「おおー!」という歓声が響き渡り、弟も喜びました。田淵内野手もいましたね。

 

運休の近鉄南大阪線 26日午後 運転再開(4/26)

 

「江夏の21球」の舞台となったのは「近鉄バッファローズVS広島カープ」の日本シリーズ第7戦でした。今朝の明晰夢は西武ライオンズに関するというか、西武鉄道の営業地域らしいのですよ。

 

(参考) 西武鉄道(Wikipedia)

 

 

最初に「江夏の21球」の夢をみて、一旦目を覚ましました。「衣笠さんが亡くなったからかなぁ~」と思いながら再び眠りにつきました。

 

今度は、何処かの街に夫婦で住んでいます。数軒隣に子どもが3~4人住んでいる家がありました。赤ちゃんと小さな女の子、小学生ぐらいの男の子がいて、親御さんは仕事に行っているのか、姿は見えませんでした。

 

その子たちはいつもお腹を空かせていて、可哀そうに思った私たちは、肉まん、ミカンなどを西友ストアーで購入し食べさせていたました。

 

 

そのうち、女の子に「今度は何が食べたいの?」と尋ねると、「お汁粉が食べたいの~」というので準備し始めました。すると、競馬の有名騎手(名前は不明)がやってきたので、寄付をお願いしますと、快く承諾してくださいました。

 

それから数日後のことです。新聞、テレビにその子たちが餓死した状態で発見されたというニュースが見え、後味の悪い夢となったのです。えーん

 

この夢は急速に増加している「こども食堂」のことを示唆しているのか、私鉄関連電車なのか、あるいは地域的なことを示唆しているのかは分かりませんが、このところ、「西」に関するシンクロが続いており、ちょっと気になっています。

 

私鉄沿線(昭和50年 野口五郎)