2016年発刊の飛鳥昭雄氏の著書「ユダヤの民VSヤハウェの民 NIPPON」を読み始めました。神社の基本構造には原始キリスト教(=秦氏)が大きく関係していることが分かりました。突き詰めれば日本全国にユダヤの神殿が建っているようなものなのです。
日吉大社(滋賀県大津市)
≪鳥居≫
神社に参拝する際は必ず鳥居の下をくぐらねばならない。ソロモン神殿にも「ポアズ」「ヤキン」という青銅の柱が2本立っていて、そこをくぐらねば聖所に入れなかった。
鳥居には様々あるが、特に朱塗りの鳥居は、下をくぐれば災いが近づかないとされ、これは預言者モーセがイスラエル人を率いてエジプトから脱出する直前、殺戮の天使の災いを封じるため、出入り口の左右の柱と鴨居に羊の血を塗ったことに由来するという。
白山比咩神社(2016/9/4 撮影)
参道を行くより拝借
≪狛犬≫
神社につきものなのが2匹の「狛犬」である。狛犬は犬ではなく獅子(ライオン)だが、その証拠に狛犬には立派なタテガミがついている。狛犬は口を開く獅子と、閉じた獅子の陰陽が並び、仁王像の「阿吽(あうん)」と同じく、合わせ鏡の雌雄一対で成っている。
「ア」で始まり「ン」で終わる「あいうえお・・・ん」も、これを原型とする。意味は【初めと終わり】だが、この言葉は聖書と深く関係する。『わたしはアルファであり、オメガである』・・・日ユ同祖論が正しければ、神社の狛犬も阿吽を通して同じことを語りかけていることになる。事実、ソロモン神殿にも2頭の獅子像が座っていたという。
出雲大社・神楽殿の大注連縄(2015/10/17撮影)
≪奥殿の謎≫
参道を通って本殿の前に立つと、一般人が参詣する「拝殿」と、宮司が祈祷する「奥殿」が見えるはずだ。これは神社が二重構造になっているからで、ソロモン神殿も「聖所」と「至聖所」の二重構造をしていた。特に至聖所は聖所より高い位置にあり、神社も奥殿の方が拝殿より高く、共に数段の階段があった。
厳島神社(2007/9/15 撮影)
神社を囲む「瑞垣」に該当するのが、ソロモン神殿の回廊(脇廊)とされ、拝殿の真上に「注連縄」「鈴」「紅白の綱」があり、注連縄に「紙垂(しで)」というギザギサの紙が垂れている。これらは、ソロモン神殿が建設されるまで、神殿は移動式の「幕屋」だったことと関係する。
紙垂(しで)
外国人のための日本生活より拝借
天河大弁財天社の五十鈴(2017/6/15 Uさん撮影)
須賀神社(東京・四谷)の大国社の鈴(2017/7/16 Mさん撮影)
エジプトから約束の地「カナン」に移動する際、神殿は折り畳み式のテント構造だった。そこへ絶対神ヤハウェが降りるわけだが、その際、巨大な雲が沸き起こり、稲光と雷が起き、火柱が立ったとされている。
つまり神社は、注連縄=雲、紙垂=稲光、鈴=雷鳴、紅白の綱=火柱で、その様子を象徴することになる。神社のことを「社」というが、「ヤ」はヘブライ語で「Yha」で絶対神を示し、「シロ」は臨在の幕屋を建てた場所を示す。
姫路市・射楯兵主神社(2017/7/22 Uさん撮影)
≪賽銭箱の謎≫
神社には賽銭を投げ入れる「賽銭箱」がある。世界広しといえど、神域に賽銭箱が置いてあるのは、ユダヤと日本だけである。
「王は命令を出して一つの箱を作らせ、主の神殿の門の外に置かせた。そして、神の僕モーセが荒れ野でイスラエルに対して定めた税を主に納めるように、ユダとエルサレムに呼びかけさせた」(旧約聖書)
「聖徳太子ゆかりの地を訪ねる旅(4)」(2016/5/7)より
ソロモン王は自分の宮殿を石造りにしたが、神殿は基礎の四隅を除けばレバノン杉で建てられていた。石・木・金の順に積み上げられ、特に内装はレバノン杉で仕上げられた。そのため長年経つと傷みが生じ、修復のために賽銭箱を置いたとある。日本の神社も賽銭を社の修復にあてている。ユダヤ人はその賽銭箱目掛けて銭を投げ入れたとある(中略)。
ユダヤの神殿の賽銭箱の大きさは、ある箱の大きさを基本にしていた。モーセがシナイ半島をさまよっていた頃の幕屋構造の神殿には賽銭箱がない。日本の社がユダヤの臨在の幕屋を象徴するなら、賽銭箱は幕屋の何を象徴したのだろうか?
「契約の箱アークは今どこに?」(2016/1/5)より
じつは幕屋における箱とは、最も重要な箱で、至聖所に安置された絶対神ヤハウェの座であった。ある意味、絶対神そのものの象徴で、御神体ともいえる代物である。その神の座の箱に雲が降り、稲光と雷鳴でモーセに啓示を与えたとある。
つまり神社の賽銭箱の上にある綱は、そのまま箱の真上に出現した雲の柱で、その臨在の幕屋にある黄金色の箱を「契約の聖櫃アーク」と呼んだ!これがイスラエルの至宝であり、櫃の中にユダヤの「三種の神器」が納められていたとある。(引用終了)