赦しを選択することは命を選択すること | 大阪アグローBLOG

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大阪アグローは石倉範子会長のご指導のもとこつこつと歩み始めました。
宜しくお願いします。

コロサイ人への手紙三章
12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。


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ゴールデンウィークの5日 

久々に家族が揃ったので バーベキューを楽しみ

夜は 涼しさに誘われ 庭のテーブルで

娘21歳と おしゃべりをして寛げました。感謝です。




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彼女がまだ上の写真くらいの頃

幼い彼女にチャレンジがありました。




元来 従順で 穏やかな娘には 

彼女を慕う友人Aちゃんがいました。

しかし、Aちゃんは、その年齢の子にとっては難しいであろう忍耐を余儀なくされる生活から、おそらく過度なストレスや、悲しさ、寂しさがあったのでしょう。

ある時期から、娘につらい態度をとるようになったようです。

仲良かったはずなのに、仲間はずれにします。

それでも、それを娘ができるだけ気にしないようにしていると、わざわざ近づいて来て 言葉で傷つけようとします。

帰宅し、たいそう悲しげな娘と 

毎日お祈りをして 

赦しを選択し 

Aちゃんを祝福しました。

それは 言うは易し、

しかし、行うには 心が血を流すような経験であったと記憶します。




そんな日々の中、Aちゃんの態度は変わらず 

ついには Aちゃんのお母さんまで 受け入れがたい態度になりました。

お母さんも 多忙で余裕がなく 
毎日を暮らしておられたのだろうと思われます。




私たち親子は最後まで赦しを選択し、

愛することを選び、

相手の態度が尚もエスカレートしていった時に 

イエスキリストの血潮の境界線をひきました。




ここでいう境界線とは、冷たい壁ではなく
文字通り キリストの血潮の境界線でした。

相手にこれ以上罪を犯させないための、

また、こちらも守られるための、

平和を保つための境界線でした。




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これは 娘が小学校3年後半から6年生にかけての経験だったと 記憶しています。

か弱かった彼女が たくましくなっていったのを 思い出し、感謝しています。

あの頃、毎日のように、
彼女を抱きしめ、励まし、共に赦しと祝福の祈りを捧げながら

子育てをしているはずの自分自身も鍛錬され 
『赦しは選択であり、それは命を選ぶことである』ということを
身をもって 経験させていただきました。





それは まさに

この、ジェーン会長の言葉にある通りでした。



[  聖なる道には闘いがある。

その闘いの中で わたしたちは

来たるべき日に  

どのようなお方の前に立つのかを学び、

その為の準備をするのである。]