合理主義者と元妻 | 言語分析未来予測

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 面白い記事がある。
 合理主義の男性が、元妻の意志を理解できないという話だ。これはgooにも書いたが、合理主義者の元夫の分析としてアメブロにも掲載しておく。

2010-02-16 18:53:17
埋められない溝
たとえば私の友人の経営者がこういっていた。
彼は別れた奥さんとの子供が、障害者のための車椅子の寄付活動にプルタブを集めていた時のことだ。
「そんなことに時間をかけるなら他にやるべきことがある。車椅子は俺が買ってやるから」
と言ったそうだ。その活動を薦めたのは奥さん側のお義父さん。彼にそれを伝えると
「そんな問題じゃないんだ。コツコツ、プルタブを集めることに意味がある」
と彼の車椅子寄付の話を断ったそうだ。結局何がやりたいのか。私の友人側の論理で言えば車椅子を障害者に寄付することに賛同して何台かを自己資金で寄付することを申し出た。それが社会貢献活動だと思っていた。コツコツ集めることに意義は感じない。
ということなのだろう。しかし、こういった話が溝になり彼は前妻のファミリーとうまくいかなくなり別れたわけだ。


 プルタブを集めることに意義があるのではなく、それが誰でもできることから、多くの人に参加しもらうことが社会運動につながり、それがより多くの人の理解となっていく波及効果を狙ったものなのだ。いわば「デモ」である。
 デモは示威運動であるから、多くが集まればその威力が「車椅子の寄付活動」の強い宣伝になる、というわけだ。

 ここにも、もう一つ見逃してならない、「自主的な自覚」の意味がある。
 「車椅子寄付」も大事だが、「車椅子の寄付活動」という社会運動に参加した自覚が、実際の活動に拘るのは当然の話だ。
 しかし、これが合理主義を追求している人に見えないところだとは驚くばかりだ。

 合理主義は「自分たちに解決できないものはない」と思い上がるが、どうしても別れた奥さんのことが気になり、その行動に干渉したくてしかたがない。それで批判を口実に口を挟んでくる。
 批判を切っ掛けにしかできないコミュニケーション、とは何とも嫌なものだ。
 全ての話のきっかけが、自分の批判からであるなら、どう思うだろう。これは相手を操作しようという一つの方法でもある。
 批判をすることで行動の制限をする。本人が自覚しなくても、このように相手に操作的かつ支配的な人は多い。よく検察の陰謀論などをブログに書いているところが、その証拠だ。しかしそんなことでは本質はつかめない。

 批判的で、相手の行動の意図や感情が分からない人では、夫婦関係はうまくはいかないだろう。相手の行動の意図が分からなければ思いやりは伝わらないし、相手の感情が分からなければ優しさも示せないだろう。離婚の理由もよく分かる。

一番嫌いで、落選させたくて、跡形なく潰れてしまえ、と思っている政党に、恨みの一票を投票しましょう!

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