景気が悪いほど、夫婦で共に生活する意味は大きい。
共稼ぎであれば、二人分の収入で生活できることから、一人暮らしとは違う豊かさを得られるのである。
また病気ともなれば、他の一人が働くことで家計を支えることになり、生活に安心感が加わるのである。
共働きであれば、比べる相手が身近なだけに、収入面で歴然と差が見えてしまう。そんな差が僅差であるほど、相手に感情的な葛藤が生じたりする。
女性は相手の感情に敏感なため、夫の葛藤を察知しやすい。
実質的に家計を握り、家庭を管理しているつもりとなっている妻は、それでも妻らしく夫の男としてのプライドを思いやる。
夫のプライドは、他の企業が高給を出している、と自分の勤めているところには悲観して、転職などを考え出す。
中には勉強をし直そうと、結婚しているにもかかわらず、さらに高い学歴を目指して受験勉強まですることとなる。その志が強いほど、男のプライドの高さが見て取れる。
妻は現実的な一ヶ月短期の収入に拘り地道に働いているのだが、夫は10年以上の長期的な収入を模索している、というほどの違いがある。
このように元々社会的な価値、労働とお金の価値観が違うのに、夫婦となって始めて気付くことになるのだ。
恋愛の期間は、浮気をしないという制限で、思いやりによって成立していた関係は、夫婦になって経済的な矛盾を抱えることとなり、それなりに大きな葛藤を生んでしまった。
妻が生活のために働くほど、「夫は自分の好きなことをやっている」としか写らなくなる。
女性が職を見付けて働くこと自体大変で、さらに買い物から、掃除、洗濯、炊事と家族を支えなければならない。
夫は家事を手伝わず、妻の労働時間が長いほど、個人的な楽しみをもてないで、ストレスからイライラする。
これで子供でもいると、保育園の送り向かいと、子供の世話や今後の学費のことなども考えなければならなくなり、さらに疲労が加重される。
そして月末に様々に支払いに追われるたびに夫の給料の少なさを実感するのだ。
それでも家に帰ればいつもと代わり映えのしない夫がいて、家事や家計の一切を切り盛りする妻に、感謝するでもない。
もはや夫はマイペースな同居人で、妻への愛情があるのか、ないのか、よく分からない。
妻は毎日が忙しいほど、余裕がなくなり、恋愛時代の思いやりによって成立した関係は、現在では、単なる義務、という制約によってしか成立していないことに気付かされる。