ロビンちゃん「では、ラークさんやおばあちゃんと一緒に収穫したきゅうりを使って、カフェの開店前に、漬け物作りをします🥒」
ゆけ、小舟よ 心のままに
風がお前を導くところへ。
波がお前を運ぶところへ。
俺はお前と共に
進みも沈みもしよう 海の底までも。
空と波のかなた、水平線を目指して。
お前の舟はお前の世界
お前の城、お前の国だ。
さあゆけ、小舟よ
さあ進むのだ、心のままに
ゆけ、ゆけ!
ゆけ、小舟よ 心のままに
風がお前を導くところへ。
波がお前を運ぶところへ。
俺はお前と共に
進みも沈みもしよう 海の底までも。
麗しき姫君に逢いもしようか
恐ろしき鯨にひと呑みにもされようか
さあゆけ、小舟よ
さあ進むのだ、心のままに
ゆけ、ゆけ!
ゆけ、小舟よ 心のままに
風がお前を導くところへ。
波がお前を運ぶところへ。
俺はお前と共に
進みも沈みもしよう 海の底までも。
・・・
フランスのオペレッタ「コルネヴィルの鐘(日本では『古城の鐘』とも)」。
まあ内容は、ザックリ言うと、幽霊屋敷を巡る恋愛活劇です。
この「波を蹴り」は漁師のグレニシュー(テノール)のアリア。
作曲者ジャン・ロベール・プランケットは、シャンソン作曲家上がりのオペラ作曲家。
だからだと思いますが、曲がとてもお洒落で素敵(だなと、私は思います)。
私は、このアリア、大好きなんですけど、時代と共に、このオペラはどうも世間から飽きられてしまったようで、海外でも日本でも、殆ど上演されなくなりました。
日本では「コルネヴィルの鐘」は、浅草オペラの時代に一世を風靡。
しかし今は、オペラ上演どころか、このアリアを単独で歌うオペラ歌手さえ、ありません。
私この前奏や間奏、曲想が変わる部分、凄く好きなんだけどな。
イメージ的に、この歌を聴くと私、客船乗りだった祖父を思い出すんですよ。祖父も明治生まれで、浅草オペラの時代を生きた人なこともあって…
浅草オペラの時代、オペラの内容は全て日本語に直されて歌われていました。
此方は藤原義江。
この時代、正規の音楽教育を受けた、数少ないオペラ歌手のお一人。藤原義江がオペラ歌手を目指したきっかけも、田谷力三の歌う「波を蹴り」だったと言います。
寄席芝居の延長だった浅草オペラは、時代とともに、少しずつ姿を消してゆき、
欧米のそれを見習い、良く言えば格調高い、悪く言えば格式ばった敷居高いものに変わってゆきました。
・・・
(小林愛雄 訳詞)
能登半島大震災「買って応援」情報記事↓
日頃、見慣れた風景や自宅の写真は、積極的に撮っておくことをお勧めします。
「綺麗でも何でもない、何もない、つまらない、いつもの風景」こそを、です。
カメラに収め、写真におこし、友達や親族にでも預けておけば、その場所が何かで焼失してしまっても、映像だけは残ります。勿論、携帯に撮っとくでもいいです。携帯が無事なら、映像残りますから。
生家が焼けてしまったYuniが言いますけど、一時間前には間違いなく存在していたはずのもの、いつでも見られるんだから、写真なんか撮る必要ないと思っていたものが、いつ一瞬で消えてなくなるか、世の中、分からないものです。
特に火災になると、アルバムも燃えてしまいます。Yuniの生家の写真は、焼け跡から辛うじて出て来た、たった一枚しか残っていません(携帯なんか多くの人は持ってない時代だったから、写メはありません)。
それは、二階の窓から私が手を振っている写真だったので、たまたま外から見た生家の全容が写っていました。
たった一枚のその写真を見ただけで、当時の間取りを隅々まで思い出せます。写真の力って、やはり凄い。
輪島朝市は有名観光地だから、映像もこうして比較的沢山残ってますし、旅の人たちも、沢山動画や写真を撮ってるでしょうから、一言「朝市の再建の際に使いたいから、朝市で撮影した写真があれば送って下さい」と募集をかければ、全国各地から(もしかしたら国境を越えた場所からも)映像が集まってくるだろうと思いますが、
そうでない場所は本当に、一度こういうことが起こりますと、自分の記憶の中以外、跡形も留めず消えてしまうのです。
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寒い日が続きますね…☃️
先日、スーパーでアイスキャンデーを買い、車の中に置き忘れたまま部屋に戻り、数時間放置してしまい、ふと気づいて大慌てで車の中に取りに戻ってみたら、すっかり溶けてしまってると思いきや、カチカチに凍ったままで、袋の周りの白い霜すら、溶けてはいませんでした。
…逆にちょっと呆れてしまった。どんだけ寒いんだ、マジで🥶❄️
皆様、温かくしてお過ごし下さい