「人形の家(The Dolls'House)」とは言っても、イプセンの戯曲じゃなくて、ルーマー・ゴッデンという女性作家が書いたイギリスの児童文学のタイトルです。
クリスマスにちなんだお話な上、私が小さい頃、人形遊びや、その道具作りに夢中になったきっかけでもあります。
絵本だけじゃなく、たまには児童文学にも📖
ロンドンに住むデーン家の幼い姉妹の玩具で、靴の空き箱の粗末な家に不満はありながらも、仲良く幸せに暮らしていた、人形のプランタガネットさん一家。
乱暴な男の子たちの家で壊されかけてたのを貰われてきた、一家の主の割にはトラウマのせいで少し弱気なプランタガネットさん、クリスマスパーティのクラッカーのおまけだったセルロイド製の陽気なことりさん。布製の可愛いわんぱく坊やのりんごちゃん、危険を察すると「ちくん」と鳴く、犬のかがり。
個性的だが素朴な面々の中心が、100年前からデーン家にいた、木製のオランダ人形、トチーです。大昔には、一個一文(1ペニー)で量産されていたお人形。(「ペグドール」と言います)
人形たちが自分の願いを叶える唯一の方法は、強く願うこと。
願いが強いと、子供たちはその願いを感じ取り、叶えてくれます。プランタガネット一家は、靴箱の家に辟易し、本物の人形の家がほしいと、ずっと願い続けていました。
ある日、デーン家の姉妹は、亡き大伯母の非常に立派な人形の家を譲られ、しかもトチーが骨董として人形展覧会に出品された功により、素晴らしい骨董家具も一緒に手に入れられることになりました。
クリスマスの日、全ての願いが叶い、大喜びのプランタガネットさん一家。
ところが、人形の家と一緒に、デーン家にもたらされたのは、とんでもない「災厄」でした。
この災厄の化身のような人形、マーチペーンもまた、元はデーン家の大伯母のもので、家同様、デーン家の姉妹に引き継がれたのです。
一番古くからデーン家にいたトチーは、この美しく精巧だが恐ろしい人形、マーチペーンのことを、昔から知り抜き、恐れていました(人形の家で同居してた時期があった為です)。
マーチペーンは陶器製の美しい骨董人形で、空っぽの頭の中に詰まっているのは自惚れだけ、人間の子供も大嫌い。他の人形たちはどんな人形であれ、人間の子供に遊んでもらえるのが何より幸せだと考えているのに、マーチペーンにだけはそれが一片もありません。
彼女はその残忍さ身勝手さで、素朴なプランタガネットさん一家のささやかな幸せを、見るも無惨に引き裂いてしまいます。
これがもう、児童文学とは思えないリアリティと人物描写で、凄かった。
完全に純文学だよ、これ
…てか、前半はプランタガネットさん一家の毎日や、二人の人間の姉妹たちと人形一家との心の交流、展覧会で出会った人形たちとの、物悲しくも心温まるエピソード、人形の家の骨董家具の修復などについて楽しく描かれ、微笑ましかったストーリーが、終盤に差し掛かると、徐々に狂気を帯びてくるのが、マジでホラー
マーチペーンの「願い」の実行者にされ、プランタガネット一家を人形の家から閉め出し、人形の家の家具も部屋も何もかもマーチペーンのものにしてしまい、挙句、プランタガネット一家を、マーチペーンの召使いにしようとまで言い出す、デーン家の姉のエミリー。
マーチペーンが来てから姉がおかしくなったと気づいてるのに、ポンヤリな為、フットワークの軽い姉に押し切られてしまう、妹のシャーロット。
皮肉なのは前半、埃と錆にまみれた人形の家を修復し、骨董家具に本物のレースを使うことに拘り、資金に限りがある中で知恵を搾り、賢く動いてくれるのは、妹じゃなく姉のエミリー。よその家で壊され放置されたプランタガネットさんを救出したのも。
骨董への理解や美の感性はエミリーの方が鋭く、それ故マーチペーンに惑溺しちゃうんですね。
四人の中でも一番華奢なセルロイド製のことりさんが、マーチペーンのいじめの標的になり、遂には可愛がっていた坊やの「りんごちゃん」まで、自分自身以外何も愛さないマーチペーンに、奪われてしまいます。
児童文学にも、サイコパスって、登場させられるものなんだね。
凄まじい話で、ラストも後味は決して良くないのですが、童話それも少女向け・人形の話に有りがちなご都合主義や妥協は一切無いので、大人でも充分楽しめると思います。
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私が好きなのは、一文人形のトチーが展覧会に出品された時、女王陛下がいらしてトチーを見るなり「まあ。懐かしいこと。私も昔、この人形で遊んだものです」と嬉しそうに語る場面。
(それで、女王の目に留まるのは自分だと思ってたマーチペーンが、トチーを妬んじゃうんだけど…)
ロンドンのウィンザー城に行った時、厳めしい城の中に、昔メアリー王妃が遊んだという、非常に豪華なドールハウスが展示されているのを見かけました。
メアリー王妃のドールハウス。↓
でも…ウィンザー城のだだっ広い広間で、豪勢なドレスを着て、超豪奢なドールハウスでたった一人で遊ぶ、スーパーやんごとなき少女を思い浮かべた時「寂しくなかったろうか…」と思ったのを覚えてます。
ウィンザー城には、紋章や剣が物々しく飾られ、大英帝国王家の財力と権力、軍事力を、訪れた人達(海外の大使含む)に誇示し威圧するような雰囲気を感じました。
城には個性があり、鶴ヶ城はたおやかな乙女のよう、ノイシュバンシュタイン城からは、行き過ぎ中二病王の狂気を感じたのですが、ウィンザー城は勲章をジャラジャラ下げ、ふんぞり返った軍人って印象。
そんな印象を受けてたものですから、たとえ童話の中ででも、幼い日の女王陛下が、1ペニー人形で庶民の子供たち同様に遊んだ…というエピには、心和らぐものがありました
イギリスの児童文学って、子供がたった一人とか、兄弟姉妹だけで遊んでる話多いですよね。ピーターパンもナルニアも、メアリー・ポピンズも秘密の花園も…そして親は男女とも仰天するレベルで子育てに関与せず、子供たちを乳母任せに。
この「人形の家」は辛うじて、デーン家の姉妹が、他所の家で遊んだりパーティに呼ばれたりする場面が、ちょろっとあり、また両親も頻繁に登場しますが…
イギリスのファンタジーって、イギリスの家庭に欠けたものを補完し、子供たちの孤独を癒す為に生まれてきたのでは?
とチラッと。
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そのトチーちゃん…
この挿絵を描いた堀内誠一先生、所有してらしたんですね。
絵本画家でグラフィックデザイナーの堀内誠一さん、私、大好きなんですけど(50代で亡くなられました)堀内誠一氏がトチーちゃんを大事に持っていて、しかも私と同じカランダッシュの愛用者だったと知って、凄く嬉しかったです。
「堀内誠一 旅と絵本とデザインと」からの写真。
見た途端「あ!トチーちゃんがいた」ってなった
多分「人形の家」は、堀内先生も、ご自身が挿絵を手がけた書物の中でもお気に入りの本だったんではないかな。
堀内先生は、世界中を旅して歩き、スケッチし、日本の子供たちに(寧ろ子供たちにこそ)「本物」を届けたいと尽力された方です。
ananやPOPAYE、ESSE、たくさんのふしぎなどの雑誌や絵本の文字デザインも堀内先生の作品なんですよ。
「絵本は官能的だ」と仰り、SM誌「血と薔薇」の編纂なども、澁澤龍彦氏らと一緒に行っていました。
本来の意味での多様性の具現者で、フェミニストだったかもね(妖怪クリエイター潰しクレーマー婆となり果てた今のクサレと違って。)
実はそっくりそのものじゃないんだけど、うちにもトチーちゃん(によく似た木の人形が)いるんですよ。
実家が火災に遭った時、これはたまたま祖母の家かどっか、よそにあったんでしょうね、…で、助かった。
小さい時に私が(妹や友達や従妹も…)よく遊んだ人形の一つで、父か祖父がヨーロッパで買って、連れ帰ったものだと思います。
もとは道化師みたいな服を着た少年の人形だったのですが、積年劣化で、服は真っ黒のボロボロに。
私が新たに服を作って着せ、その際に女の子にしてしまいました。
その服も、もう何人もの子供たちが遊んで黒ずみ、木製の顔もニスが変色し、黒く光ってます。
でもそれは多くの子供たちが、この子と遊んだ証。
「人形の家」のトチーの描写はこうです。
「腰と肩と手足の関節がきちっとつなぎ合わせてあって、首は肩から背と胸にかけて台座のような部分で繋がっていました。
その丸い顔にはつやつやしたペンキで髪が描かれ、頬っぺたもつやつやしたピンクに塗られ、目は明るいハッキリした色で、いかにもきっぱりと描かれていました」
「トチーは時々、自分が出来た元の一本の木のことを考えて楽しむことがありました。
その木を巡っていた樹液、春になれば芽を芽吹かせ、秋の木枯らしや冬の嵐の最中にもその木をじっと立たせていた力と樹液の事を考えました。
『その木の一部分、ほんの一部分だけど、私の中にあるんだわ』とトチーは言いました。
『そうよ、私はちっちゃなその木なんだわ』トチーはよくそう考えて嬉しくなるのでした」
一文人形でも誇り高く、残忍なマーチペーンの迫害に動じず、木のような和やかさと気丈さで、プランタガネットさん一家を守ろうとするトチーちゃんの、この部分が大好きです。
もしかしたら100均のこの子たち↓だって、100年経って、そんなことを空想する事があるかもしれないですよね。
ルーマー・ゴッデンの作品では、私は他に「ふしぎなお人形」という本が子供の頃、大好きでした
これを読んだら、人形の好きな女の子たちなら誰でも、身近にあるものを使っての人形の家作り、してみたくなるんじゃないかなあ。
何をしてもグズでうまく行かず、兄姉たちに馬鹿にされっぱなしの気弱な女の子が、クリスマスに妖精の人形をもらい、自転車の籠を横にして妖精の洞穴を作ってみたり、その中に森で取ってきた苔を敷きつめたり。
妖精の力なのか、これまでなかったアイデアが次々湧いてきます。妖精の力で、乗れなかった自転車にも乗れるようになり、人前でハキハキと話せるようにも。全て妖精の魔法のおかげだわ…と少女は思い込みます。
ところがある日、その人形が突然、消えてしまいます。
人形を通し、女の子の成長を描いた物語。
この本は現在絶版になり、Amazonで見るととんでもないプレミアになっちゃってる。他のタイトル・翻訳で出てるかもしれませんけどね。
図書館で相互貸借を申し込めば、借りることが可能です。
ゴッデンは「黒水仙」「川」など大人向けの小説も書き、映画にもなってるんですが、私はそちらには正直、あまり惹かれず…
ルーマー・ゴッデンは児童文学作家、それも人形を書かせたら超一流の人、ってイメージです。