幽子「マジか。逆に言えば、静かなの今だけじゃん。
いや~、やっと出来た、大人の時間だわ。…さあ、乾杯。メリークリスマス」
トチーちゃん&ポムちゃん🍎🍏「メリークリスマス!」
幽子「ああ、何だか、落ち着くな。
たまには、こういう話を、少人数で、とりとめなくぽつりぽつり話すだけの時間ってのも、良いもんだね」
これまでのお話
登場人物&設定
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「久しく待ちにし」讃美歌94番
久しく待ちにし 主よ 疾く来たりて
み民のなわめを 解き放ちたまえ
主よ 主よ み民を 救わせたまえや
あしたの星なる 主よ 疾く来たりて
お暗きこの世に 御光をたまえ
主よ 主よ み民を 救わせたまえや
ダビデの裔なる 主よ 疾く来たりて
平和の花咲く 国を建てたまえ
主よ 主よ み民を 救わせたまえや
ちからの君なる 主よ 疾く来たりて
輝くみくらに とわに即き給え
主よ 主よ み民を 救わせたまえや
・・・
讃美歌は、元の歌詞を殆ど意訳することなく、非常に原語に忠実。この通りの歌詞です。
…おお、来て下さい、来て下さい、今宵お生まれになる神の子よ。
そしてどうか、彷徨えるイスラエルの民をお救い下さい…と。
9世紀に作られたラテン語のグレゴリオ聖歌を、後の人が編曲しました。
エマニュエル(インマヌエル)は「神は我らと共におられる」を表すラテン語で、キリストそのものを指します。
「見よ、乙女は身ごもり、男の子を生み、その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ 7-14)」
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アミーチス作「クオレ物語」の中の挿入話
「父の看病」。
イタリアの貧しい家の少年チチロは、フランスに出稼ぎに行った父が現地で病気になり、入院した…という手紙を受け、大急ぎで、フランスの病院に向かいます。
そこで彼を待っていたのは、病院のベッドに横たわり、顔は見る影もなく面変わりし、口もきけないほど弱り切った父でした。
やがて病人は、チチロの目を見、チチロが手を握り締めると、その手をかすかに握り返すようになります。
…或いは、父に回復してほしいチチロが、そんな錯覚を起こしただけなのかもしれませんでしたが…
でも、チチロはその度、痩せてもの言えぬ病人の姿に、以前の陽気な父の面影を見たような気がして、ホッとするのでした。
父は、もう助かる見込みはないと思い、絶望に打ちひしがれ、チチロは泣き伏します。
「それでは看護婦さん、長らくお世話になりました。
国へ帰ります、お元気で!」
…父の声です!
チチロは廊下に飛び出しました。
はち切れそうに元気いっぱいの、思い出の通りの父の姿を見て、驚きに言葉を失い、喜びに涙するチチロ。
父は軽度の病の床から、完全回復し、今しがた退院したばかり。
病院は、チチロの父親を別人と取り違えて、家族に伝えていたのでした。
本物の健康な父に巡り合い、母にも素晴らしい報告が出来ると喜び勇んで、一緒に帰る為、病院を去ろうとしたチチロは、ふと、それまで自分の父だと思い込んで、看病して来た病人の方を、振り返ります。
病人は、チチロの方に、力のない目をじっと向けていました。
チチロの足は、その目を見た途端に、前に進まなくなりました。
そして、父親に「父ちゃん、俺は帰れない。この人は、俺を自分の息子だと思ってるんだ。俺はここに残って、この人を看病する。
だから父ちゃんは、一足先にうちへ帰って、母ちゃんに良い知らせを伝えておくれよ」と言い出すのです。
驚いた父は、横たわる病人について、医師にそっと事情を尋ねました。
医師は説明しました。
…チチロの父と同じ、外国からの出稼ぎ労働者で、しかもチチロの父と同時に運ばれてきた為、チチロの家族に誤って通達してしまったが、この男がどこから来た人なのかも、名も家族の所在も、判らないこと。
そして、病は極めて重篤であり、余命いくばくもないこと…
父は、息子の言葉を理解し、深くうなずくと、先に帰宅しました。
しかし病人は、次第に弱ってゆき、
やがて、一人の身寄りも現れず、一声の言葉も発することが出来ず、名前も身元も判らぬまま、静かに命を終えました。
そして最後に、なんと言葉を掛けたらいいか迷っていたチチロは、そっと囁くように呼びかけます。
「さようなら、父ちゃん」
子供時代、Yuniのクリスマスには、母と、離れに同居する祖父母と、妹とがいました。
母がスーパーで、既成のケーキスポンジを買ってきて、生クリームを泡立て、そのクリームをYuniや妹がスポンジに塗って、いちごを載せれば、クリスマスケーキの完成です。
不二家やコトブキなどのケーキ屋で、ケーキを買って貰った記憶は全くなく、Yuniの年代の人がよく思い出話として話す「バタークリームのケーキ」の味を、Yuniは多分、知らないと思います。
(他人事みたいに書くけど、実際「ああ、そうなんだ、そんなのあったんだ」としか言えないんだもの。
マジパンのサンタやツリー、チョコプレートの飾られた華やかなケーキを食べてみたいと思った記憶はあります)
それ以外に食卓に上がるのは、缶詰フルーツにサイダーをかけたフルーツポンチや、レディーボーデンのアイスクリームが定番。
クリスマスのご馳走は、毎年、スーパーで売られているチキンの足でした。
当時、12月末の関東には多くの年、雪が降り、プレゼントは、朝になると枕元に置いてありました。
中でも、祖母の創意工夫に満ちたプレゼントについては、昔、記事にしたことがあったと思いますが、いつも奇想天外で、私たちを喜ばせました。
ささやかですが恵まれた、どこよりも愛に満ち、暖かく幸せなホワイトクリスマスでした。
Yuni実家は質実剛健気質で、生活は質素でしたが、経済的に行き詰まるという理由で、クリスマスに惨めな思いをしたという記憶もありません。
怒ると恐ろしかった父ですが、数か月、時には数年いないとなると、本当に寂しいものでした。
世界中どこに行こうと、無料のオンライン通話で、当たり前に顔を見て話せる現代とは全く異なり、国際郵便を出そうにも国際電話をしようにも、とんでもなく高額だった時代。
クレカも今ほど普及してなかったから、所持金で生活する父からかけて来てるとしたら、一円一秒も無駄に出来ない。
母が国際電話をする時「Yuniも一言、何か話しなさい」と言われても「国際電話は高いから手短に」と見張られていては、「お父さん、あのね。最近、学校で…」「向こうではどう?」なんて、悠長な話をすることは出来ません。
制限ありの短時間に、あれこれ話そうと事前に考えていても、いざ話し出そうとすれば「おお、Yuni、元気か?」「うん。…お父さんも元気そうだね」で、精一杯。
それでも、父の声が元気であり、海の向こうにいても日本にいる時と変わらないことが判るだけで、ホッとしたものです。
そんな幼少期だったこともあり、本の虫で、むさぼるように本を読みふけっていた子供時代でしたが、
滅多に泣くことはなかったのに、唯一、Yuniが自分でも信じられないほど号泣し、涙が止まらなかった物語が、
この「父の看病」でした。
泣く姿を家族に見られたくなくて、机の下に潜り込んで泣きました。
父が海外で働いているという子は、Yuniの同級生には、恐らく一人もいませんでした。
国内単身赴任の人さえ、周りには、殆どいなかったと思います。
…言葉も通じない異国で、父に突然不幸が起き、ぷっつり消息を絶ってしまうかもしれない。
飛行機事故が起きるかもしれない。
家族が迎えに来るのを一心に待つ父を、助けられないかもしれない。
その思いを、誰かに共有出来る状況ではありませんでした。
勿論、彼女自身の父親も欧州航路の貨客船乗りであったYuni母や、祖父母なら、話せば解ってくれたでしょうが、
それを口にすれば、母たちを不安にさせること間違いなしなので、Yuniは無意識に自己制御するようになってたんだと思います。
…お土産を持って「ただいま!」と笑って帰って来てくれるはずの父が、突然、帰って来なくなり、生きてるか死んでるかすら、判らなくなるかもしれない。
やはりその一抹の不安は、Yuniの胸の中にずっとあったんだと思います。
自分でも「父の看病」で、あれほど泣いた理由の説明がつかなかったけど、今なら見当がつきます。
自分にとって一番起きて欲しくない悲劇が、鮮明に描かれた話だったからだと思う。
「クオレ」の他の挿入話では、泣きませんでした。「母を訪ねて三千里」も「少年筆耕」も「難破船」でも。
この「父の看病」だけ、自分でもわけわからなくなるくらい泣きました。
エンリーコが主人公の本編は、読んだはずなのに、覚えてすらいない。
Yuniの父は、欧米外資に就職する前、製鉄会社で数年働いていました。
そこで父は、積んであった鉄筋が崩れ、その下敷きになった若い男性が死ぬ姿を、目の前で目撃したそうです。
あっ、即死した!と思ったその男性は、なんと重い鉄筋パイプの下から、ふらふらと這い出てきました。
そして、生きていたのか、あの状況で…?と驚くYuni父らをよそに、その男性は数歩、よろめくように前に進んだかと思うと、ばったり倒れたのだそうです。
「一瞬で死んでいただろうと思うんだよ。骨や臓器が潰れて。
でも、数秒なら動くんだね、体が。…可哀想だった」
父はその話をしながら、ぽつんと言いました。
その人を一瞬、前に向かって動かしたのは「いやだ、まだ死にたくない」という強い思いだったんじゃないだろうか…
と後に、Yuniは思いました。
亡くなってから判明したのは、誰一人、彼がどこから来た人で何という名で、年齢は幾つなのか知らない、記録がない…ということ。
会社としても、彼の身元を懸命に探したのだと思いますが、手掛かりがなく、その男性は結局身元不明のまま、社葬に付されました。
その方にも、チチロが最期を看取った人にも、恐らく、彼を待つ家族がどこかにいたのでしょう。
…父さんは、いつ頃帰って来るんだろう。夫はいつ帰って来るんだろう。息子はいつ帰って来るんだろう。
どうして、連絡が取れないんだろう?
そう思って、何年も待ち続け、時には、必死でその行方を探し回った人たちがいただろうと思います。
本当に悲しい話です。
出稼ぎや日雇い労働が普通にあった時代、実際、こういった無名の殉職者たちは、日本だけでも数え切れないほどいたはずで、今だって、世界を探せば、凄まじい数いるだろう…と思います。
ドクターや看護婦さんから「この人があなたのお父さんですよ」と太鼓判を押され、見る影もなくその人が面変わりしていたら。
そして、その父と何カ月~何年間と離れてたら。お母さんたちに事実を伝えなきゃと、気が張り詰め切ってたとしたら。
ずっと思い描いていた父の顔と違う、変だな…と思ってたって、あまりのショックで動転し、信じ込んじゃいますよ。
幼い子供なら、なおさら。
そして、病人の冷たい手を握り締めたことがある人なら、解ると思います。
必死になって、自分の手のぬくもりと自分の生命とを、何とか相手に分け与えようとしますよね。
それをした人の手を、そして、かすかに握り返してくれた、その感触を覚えていたチチロが、その人が父親ではなかったと知った時、見捨てて帰れなかった…というのも、自然な心の動きだと思います。
実父は実父で、そんなチチロを見て、この身元不明の気の毒な男が、一歩間違えば自分だったかもしれなかったのだ…
と一瞬で気付いたのでしょう。
この話に対し、以前「クオレ物語は、愛国心を高めるためのプロパガンダで、真実味が無くてどうのこうの…」
と書いていた文化人がいたのですが、
あ、この人は、子供時代、こういう不安と、一切、無縁でいられた人なんだ。
…と、Yuniは思いました。
…クリスマスに、聊か暗いお話になりましたが、
同年代の方々が、ネットで語るクリスマスの思い出話の中に、Yuniと共通する話(バタークリームケーキの味とか)が少ないのを知り、
Yuniの、他の多くの子達とは少し違ってたかもしれない、子供の日のクリスマスのことを、ふと思い出しました。
世界中の子供たちが、今夜は、大切な家族と共に、安らかなクリスマスを過ごせますように。









































