
おばあさん「まあ、これは…アナスタシアさんのお小さい時の肖像ね。そして、お小さい頃に描いた絵。
ほっぺたがリンゴのようね。ぽちゃぽちゃして、可愛らしいこと」
ナースチャ「そうでしょうか…
私は始終、お母様に『太り過ぎだ。菓子を食べ過ぎるでない』と叱られておりましたわ」
ナースチャ「この頃から、服飾デザインに興味があったのよ」
ナースチャ「ああ、この肖像画は、紋白が家に来た日だわ。
お母様のお友達が子猫を7匹産んで、そのうちの一匹を下さるというので、見せて頂いた子猫たちのきょうだいのうちで、紋白は、一番ひ弱そうだったんだけど…
どうしても私、この子が欲しいんだって言い張って、泣いてねだったの」
・・・
ナースチャ「少女時代よ。
私は幼少期は『小悪魔』と呼ばれるくらい、陽気ないたずらっ子で、明るかったらしいわ」
ポムちゃん🍎🍏「…あんまり、そうは見えないね」
それに私、そうでもしないと、五人きょうだいの間で一番、存在が霞んでいたんですもの。
弟は将来の国王だし、お姉様たちはそれぞれ、上品さや賢さ、美しさで、何かと世間の評判になっていたのだけれど、私にはどの資質もなかったわ。四番目の女児で、お父様は私が生まれた時、またもや女だと判ると、失望して書斎に暫くこもられたそうよ。
だから懸命に、自己主張していたの。今思えば、悪目立ちすることしかしてなかったけれど…
でも本当は、一人になると、色々と考え込むことが多かったの。そして、だんだん私たちの周りに、ただならぬ気配が迫って来るのを、感じていたわ」
ナースチャ「ええ、そう。
私たちはもう、私たちの国に、望まれない存在になっていたの」
幸い、私たちは最後のチャンスをつかんだわ。
元に戻れるだろうと、一秒でも考えたら、私たちはきっと助からなかったでしょう。どれだけ恐ろしい最期が待っていたか、想像もつかない」
ナースチャ「私たち家族は、国を捨てたの。
本当はそんなこと、すべきではなかったのかしらね。でも…あまりに恐ろしくて、表も歩けなくなっていたのよ。紋白だけが、私の支えだったわ。
一番耐え難かったのは、子犬のジェミーを手放さなくてはならなかったことよ。ジェミーは、紋白よりずっと後から我が家に来た子だったの。コッカースパニエルの、まだ小さな可愛い子犬だったわ」
バミューダー「ジェミー…」
ナースチャ「紋白は、殆ど鳴かない静かな子だったから、問題無かったんだけど…ジェミーはあまりにキャンキャン鳴くし、遠吠えの声も響き渡るので、亡命船に載せるには不向きと判断されて、最後まで私の味方をしてくれた使い走りの少年に託して、国に置いて去るしかなかったの」
トチーちゃん「その話は、私、まだあなたから、一度も…」

ナースチャ「出来なかったのよ。
ジェミーの話は、私はしようとすると、胸が切り裂かれそうに痛むの。とても話せなかった。今でも…今でも、話し始めると涙が流れてくるし、この通りに…胸が詰まって、声が震えてしまうわ。
…ジェミーは最後まで、私がいなくなることが解らなくて、私を見ると嬉しそうに甘えて、尻尾を振って、キャンキャン鳴きながらお腹を見せて、地面をゴロゴロ転がっていたわ」
ポムちゃん🍎🍏「…うん」
お姉様たちや弟は、貨物室から這い出してきた私の真っ赤な目に気づいていたはずだけど、何も仰らなかった。暗い船内は、まるでお葬式のように静かだった。
ジェミーの鳴き声と姿は、今も胸を離れないの。
紋白は、声を殺して泣き続ける私の側に、ずっと寄り添っていてくれたわ。紋白がいてくれなかったら、私はどうかなってしまっていたかも」
アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァは射殺された時、コッカースパニエルの子犬ジェミーを腕に抱いていました。
当時関わった人のご子息の証言では「(ニコライ一家の)死体をトラックに積み込む時、大公女の一人の衣装の袖から、小さな犬の死骸が転げ落ちた」とのことです。
ラーク「バミューダーさん、あの…」
バミューダー「君自身の口から、彼女に伝えたまえよ、ラーク君」
君のジェミーは、元気でいるよ。可愛い子犬たちも生まれたそうだ」
ナースチャ「え…?あ、あの…ラークさん、何故…」
バミューダー「僕は以前、ラーク君から話を聞いて、是非にと頼まれてね。
君の母国に、リサイタルツアーで降り立った時に、君のジェミーを預かったという、その少年を探し出したんだ。
…見つかったよ。彼はもう、立派な青年になっていたけどね。
ジェミーには、直接は会えなかったが、青年は話を聞くと、涙を流して喜んでくれてね。
アナスタシア様に渡して下さいって言って、ジェミーの写真をくれたんだよ」
ナースチャ「………!」
ラーク「君が祖国に帰ることは、今も難しいだろうからと言って、青年は僕に宛てるという形で、手紙も書いてくれたんだ。
『ジェミーは、お嬢様のことを、片時も忘れてはおりません。お嬢様が使っていらして、ジェミーの為にと籠に入れてゆかれた古いショールに、夜は必ずくるまって眠り、取り換えようとすると吠えて、絶対に手放しません。
そして、とても幸せに暮らしておりますから、どうかご安心下さい。私もジェミーも、いつも、お嬢様の幸せを心より願っております』って」
ラーク「もし、ジェミーが元気じゃなかった場合、どう君に伝えたらいいかが分からなかったから、僕は、君には相談なしに、こっそりバミューダーさんに調査をお願いして、話すタイミングを探していたんだ。
黙っててごめんね、ナースチャ」
幽子「…バミューダー」
バミューダー「う、うん…
こ、ごめん、今、僕の方が、もらい泣きが止まらない…」
ああ、ああ、幸せに暮らしているのね。私のジェミー…」
・・・
ナースチャ「私はアナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァという名を捨てたわ。
今はアナスタシア・イヴァノーヴァよ。その名前で私は職を見つけて、お勤めにも出始めたの。
最初の数年、私たち家族は、今の境遇にはとても慣れられないと思ったわ。特に、お母様は、有名な王家のお姫様育ちでしたものね。
「おお、我が娘らを働きに出すことになろうとは!」と母は嘆いていたわ」
幽子「時代と身分考えたら、だろうね…」
ナースチャ「でも、私は今の暮らしは悪くないと思ったわ。
駆け引きだらけの薄暗い王家より、この暮らしの方が、よっぽど地に足がついているとさえ思った。ジェミーがいない寂しさにさえ、耐えられたらね。紋白はいつもそばにいてくれたし。
少女時代の明るさは無くしてしまったけど、都会で私は、ひっそりと暮らし始めたの。この村に住むいとこのポムちゃんが、唯一私たちの出自を知る頼りの存在で、有難かった。
それに暫くしたら、私は再び、お洋服への情熱を取り戻したわ」
・・・



トチーちゃん「まあ。ラークさん…
昔は、こんな表情をしていたのね」
ラーク「自分でも、気づかなかった。ここまで僕は、暗い顔をしていたんですね。
『いちご泥棒』と呼ばれて放浪していたクックちゃんとロビンちゃんが、ポムちゃんやトチーちゃんに救われて、僕らの家に来てくれたのは、本当に有難かったなぁ」
おばあさん「あの子たちは、私たちの天使ですよ」
幽子「無理もないよ。
私とバミューダーは、その場にいた側だからね。
バミューダーも、よく演奏旅行の合間を縫っては、私に連絡して来てたんだよ。
『ラーク君は、大丈夫かい?』ってさ」
おばあさん「アナスタシアさんを一目見て、ああ、このお嬢さんが、ラークの奥さんになってくれたらねえって、思ったの。
夫のフェニックスも、そう思っていると感じたわ。
それで、アナスタシアさんがラークと結ばれた時に…フェニックスが、天国から知らせに来たのよ。
…おい、僕たちの自慢の息子が、素晴らしいお嫁さんを見つけたよ。
これからは君も、もっと人生を楽しむべきだ。愛するカナリー…って」


・・・・・

ナースチャ「こ、この方は…マレットちゃんのお母様…ね?」
おばあさん「アイビス…
あ、あの子、街にいた時、こんなだったの…」
ラーク「…はい」
おばあさん「なんて派手な服、派手なお化粧を。まるでクリスマス前の七面鳥だわ。
周りの、不快なものでも見るような視線に、あの子は全く、気づかずにいたのね…」
幽子「何というか、これは…
随分と、気合入っちゃってるな」
おばあさん「………」
トチーちゃん「カナリーさん…」
幽子「田舎から出てきて、旦那に捨てられちまって、大見栄切って出てきただけに、国にも帰れない。
舐めんじゃねえよ感が、全身から滲み出てるけど、方向性を完全に間違えちゃってる。
これは本当に、冷たい大都会で白い目で見られて、陰では酷いことを囁かれていただろうな。
マレットちゃんも、アイビスさんも…」
バミューダーさん「都会なんて、人が思うほど寛容でも、視野の広い場所でもないですからね。
上流階級も、イメージ付いているほど、上品なものでもないですし」

ナースチャ「その通りですわ」
おばあさん「マレットの、なんて悲しい顔…
母親には言えなかっただろうけど、学校ではどんなにか、いじめられ、差別されてたでしょうね。母親がこれだけ、周りから浮いていたのでは…
アイビスのお化粧も服も、見るに耐えられないものだわ。マレットの服は、比較的良い生地を使って、ちゃんとしているのに」
マレットをここに置いて、アイビスが行方不明になった時、僕は最悪の事態を覚悟しました」

ナースチャ「この日、バルバラのオーディション当日だったのよね。
私は試験会場の控室にいて、彼女と一緒に順番を待っていたの。
後からラークさんから事情を聞いて、私も言葉を失ったわ」
誰よりもあなたを応援したかったラークさんは、不意に起きた恐ろしい出来事に心をかき乱される思いで、アイビスさんを探しに大都会へ。
カナリーさんは動転して、私とポムちゃんにご連絡を下さって。
私たちは蒼ざめ萎縮して、棒立ちになっていたマレットちゃんを家の中に迎え入れて、兎に角、お食事を採らせたわ」
幽子「切ないな。今は農民だけど、元はP市の大学にいて、地に足がついて働いているラークとの差。
兄妹なのに、服装からもう、全然違う…」
ポムちゃん🍎🍏「旦那さんに逃げられて、アパートまで追い出されて、定職にも就けず、娘の為に笑われない母親になろうと、足掻けば足掻くほど、努力が空回り。
アイビスさんも、よくよく追い詰められていたんだろうなあ」

ラーク「『母さんは元気?』『マレットを兄さん、宜しくお願いします』と泣き崩れた時のアイビスの顔、僕は、一生忘れないだろうと思います。
頬紅を真っ赤にはたいた、けばけばしい化粧の下で、痩せこけて、ろくに物も食べてなくて。
兎に角、妹が生きてたことを、全力で運命の神に感謝しました」
私は、こんなド田舎で土を耕して埋もれるだけの父さん母さんとは違う、素晴らしいものも華やかなものも、良いものはみんな大都会にあるんだ、私はこんな村なんか出て行って、大都会で幸せになってやるんだと叫んで、都会から来た男性と一緒に、この家を飛び出していってしまったのよ。
私は私で、あの子が一番傷つくことを言ってしまっていたのよね。
…母さんは、あなたが都会に出ることをいけないとは言いません、あなたの兄さんのラークが、P市に留学してエンジニアを目指すことだって、許しましたよ。でもあなたはここで、何一つ学ぼうとはしない。それで都会に出たら、何かものになるのかしら?と。
でも、おお、アイビス…」


ラーク「『ラーク兄さんは、母さんの一番のお気に入りだもの、私の気持ちなんか解るもんか。
父さんに似て器量良しだし、賢いんだから』と、僕はよく、アイビスに突っかかられてましたっけ」
ポムちゃん🍎🍏「正論も過ぎると、退路を完全に断たれてしまう…というのはあるよね」
トチーちゃん「お母様の言葉が図星だと思えば思うほど、余計、意固地になって反発してしまう。
アイビスさんも、複雑なお年頃だったのでしょうね。それもまた、よく解るわ。彼女も若かったのよ」

ラーク「『母さんは元気にしてる?』って、アイビスは、涙で化粧の滲んだ目で、何度も何度も繰り返していました。
痛ましくて、哀れでした。事情を訊いてみたら、女の子を一人育てながら、何の資格もない、教養も身に付けていない女性一人が、大都会を生き抜いてゆくのは、想像以上に難しかったのだということが、すぐに解りました。
マレットもまた、大都会の学校で、心をボロボロに傷つけられていました。…こちらで引き取って、アイビスがちゃんとした職業の資格を得、職に就けるようになるまで、僕らがマレットの養育をしっかりする。君の当面の生活費も僕が出す。だから君は、安心して資格勉強に集中するようにと、僕はアイビスに言い聞かせました」
ポムちゃん🍎🍏「田舎で勉強を全くして来なかったことを、都会にそのまま出てみて、初めて後悔して、学び直すことになったわけだね」
いつでも帰ってきてほしかったし、マレットの父親と離婚していたのなら、その時にすぐ、事情を話してくれていたら…
あの子も、なんて意地っ張りだこと。
ラーク「ええ。アイビスも、本当に綺麗になりましたよ。自信が彼女を変えました」

幽子「マレットちゃんの為にも、良い選択だったよ。ここで過ごしているのが、マレットちゃんの一番良い資質を引き出してるよな」
私、妹が欲しくてならなかったの。マレットちゃんがいてくれて嬉しいわ。
クックちゃんもロビンちゃんもシスキン君も、皆、真面目で思いやりが深くて可愛いマレットちゃんが、大好きよ」

トチーちゃん「マレットちゃん、ビックリするほど、子供らしい可愛い笑顔を見せるようになったわね。あんなに表情が硬かった子が」
よく考えてみたら、不定期にこの家にやって来た子に、これまで、心の傷の無かった子って、一人もいないんですよ」
ポムちゃん🍎🍏「そうだったね。
ミモザちゃんや、いちまちゃんは別だけど…」

幽子「クックちゃんとロビンちゃんは、里親先から逃げて浮浪児をしていた、親のいない『いちご泥棒』だったし、シスキン君は、両親を一気に事故で亡くしてしまって、この村に来たのだし…」


おばあさん「夏休みになると、このご近所に滞在する、リリちゃんとズズちゃん姉妹もそうだわ。
ご両親揃っていても、経済的に豊かなご家庭に育っていても、満ち足りているとは限らないのね」
ナースチャ「似たような子たちが寄り集まって、不思議と、みんなで欠けてしまったパーツを補い合って、自然と柔らかな子供らしい表情になってゆくのは、不思議ね」

まだ私のスカートの陰から離れられなかった、あどけない少女だった頃のよ。
そして天性の頭の良さや落ち着きは、ラークやラークの父親にそっくりよ」

・・・・・
ヨーデル「あう!わん!きゃうう!おぉ〜ん!」
ヨーデルちゃんがね、けいとにからまっちゃった〜」

ぬこたん「ヨーデル、おめえ、一番最後に来て、一番やがましーわ」
ヨーデル「きゃぉ~ん!あう!わう!」
ぬこたん「ったく、誰に似たんだっペ…
俺みてえな、お上品な親父の血を継いでながら…」
あと、あんたは野良猫横丁出身よ。ヨーデルもね。
そしてヨーデルちゃんは、猫ではなく、子犬」
・・・・・
これまでのお話
登場人物&設定
・・・・・
「中産階級の人々」ジャン・コルティ/ジャック・ブレル
心は温かく
視線はグラスの底に落とし
私たちは
場末の店で
若さを浪費していた
友は哲学者を気取り
別の友は
放蕩者の名を借り
私は
自分自身という幻想に
最も深く酔っていた
夜更け
格式ある宿から出てくる
公証人たちを見て
私たちは
彼らを嘲った
ブルジョワとは
豚のようなものだ
歳を重ねるほど
自らを正当化する
ブルジョワとは
豚のようなものだ
老いるほど
愚かさは
洗練される
時は流れ
心は落ち着き
視線は
現実に戻った
同じ宿の
同じ酒場で
今度は
私たちが
「先生」と呼ばれている
友は
かつて敬愛した思想を語り
別の友は
かつて憧れた自由を語る
私は
依然として
最も雄弁に語る
ブルジョワとは
豚のようなものだ
信念を失ったのではない
配置を変えただけだ
ブルジョワとは
豚のようなものだ
汚れを嫌い
安全な場所から
世界を論じる
夜更け
外に出ると
若者たちがいる
かつての
私たちと同じ言葉で
かつての
私たちと同じ調子で
叫んでいる
彼らは
私たちを指さし
歌う
ブルジョワとは
豚のようなものだ
金の問題ではない
立場の問題だ
ブルジョワとは
豚のようなものだ
殴らなくなったのではない
殴られない位置を
選ぶようになった
革命は
起こらなくても
変化は起こる
裏切らなくても
人は
移動する
そして
かつて歌った言葉を
今度は
自分が
向けられる
・・・
1962年にジャック・ブレルの歌ったシャンソン。
この歌は、日本では殆ど訳されて来ませんでした。
・・・・・







































































