シングルマザーでも大切な人の為、大好きな音楽の為に生きる♪ -62ページ目

私を哀れみの目で見たらぶっとばす

2011年3月11日 東日本大震災が起きました

2011年5月 父の大腸がんステージⅣが発覚


ギリギリの生活レベルの私が被災者への募金も雀の涙しか出来ない

現地へボランティアにも行けない


父の病気に対し私は何もする事ができない


この想いが重なり、自分の無力を痛感し苦しんだ。


「こんな自分でも何か出来る事はないのか?」


模索し、行ったのが


ドラム1台だけのステージで募金額を稼ぐ事でした。


このステージで私1人では捻出する事ができないお金を寄付する事が出来ました。



これが私のドラムソロの始まり


ドラムソロのステージの回数を重ね

ステージに対し更なる欲求が出てきました。


もっともっと良いモノを創りたい



“中途半端では良いモノにはならない”



これが私の音楽に対する想い



良いモノにする為 どれだけ時間がかかってもいい


焦ったら貴重な時間すら無駄になりかねない


ステージにあるアイテムを導入するべく

2012年に1から勉強を始めました。


これがなくてはステージは行いたくないと思うくらい


2012年8月母の肺がんが発覚


予定していた勉強が出来ない環境となりました。


2014年1月母のがんが脳へ転移

同年11月余命宣告を受け 今私は母の介護をしています。


この数年の両親の闘病生活に情けない事に私まで体調を崩してしまいました。


でも奇跡が起こり


【こんな自分でも可能な勉強方法】


をさせてもらえる場所に出会いました。


それから約1年半経ちます。



私は性格上、不確定な事を発言する事が好きじゃない



だから今まで言いませんでした。



1年半経過し、やっと「言っても大丈夫かな?」って思えるようになった。



私は和太鼓(締め太鼓)の勉強をしています。


私は日本人である事に誇りを持っています。


そして和太鼓をきっかけにご先祖様があみ出した音楽、楽器、文化、思考に触れたら



「日本人はんぱねー」




そして奥が深すぎて、更に知りたいという欲求に追いつけないくらい深い
(≧▽≦)



募集記事には和太鼓に触れていますが、こうやって発表するのは初めて


やりたいのは和楽器バンドではない


様々な国の歴史ある楽器や現代の技術、パフォーマンス等をステージで表現出来たなら



“マジはんぱねーステージ”



になるんじゃないかと、、、

っていうか



“やりたい”



それだけの動機


でもそれだけで充分な動機



そしてきっと私のやりたいステージは他のメンバーも必要な為、物凄く時間がかかるのは分かってる


だから和太鼓を勉強する事を決めた時


“何年かかってもいいから実現させたい”


こう思った。


締め太鼓はまだまだまだまだ勉強です。

そしてドラムに入れ込みます(*^^*)

セッティングは想像出来ないモノになるでしょう(笑)



まじはんぱねーステージを創る為


現実は土台すらできてない

今の私が出来る事をやれる事にしがみついているだけ


ちなみに今はドラムの技術を上げる為の勉強もしてます



何年かかるかな(^^;)


予想外に母の体調が悪化してしまったから、また延びるな


でもさ


母子家庭

両親がん闘病中

母の介護

自分も病気


この環境で勉強出来るという事事態ありえなくない?


だから色々あるけど、後悔した事はないんだ


だから私を哀れみの目で見たら、ぶっとばす!


だって私幸せなんだもん


娘達は私が音楽を続けている事を喜んでくれてるらしい♪
(私には直接言ってくれないケド…(T^T)サミシイ)



あるのは感謝です。



私に関わって頂いている、沢山の方々に感謝をしても足らないくらいです。


感謝させて頂ける事にも感謝です。




なのではんぱねーステージを実現させる事を恩返しとし



もっともーっと 頑張ります!!!



勿論出来る事からコツコツと(^_^)v



まだまだこれからです!


楽しみー( ´艸`)






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知られていない緩和ケア

これはあくまでドシロウトの私が母が緩和ケア病棟へ入るに辺り調べたり感じたりした事を書いたモノですので参考程度に読んで下さい。



幾つかの緩和ケア病棟の全てのパンフレットの冒頭には↓と似たような文章が書いてありました。


“緩和ケア病棟とは病気になった本人と家族の痛みや精神的苦痛を和らげ豊かな人生を送るれるようにする場所”



※緩和ケアを受ける時期
 (調べて初めて知った)

緩和ケアはがんの進行した患者さんに対するケアと捉える人が多く「まだ緩和ケアを受ける時期ではない」と思うと思います。

我が家もこのように思っていました。

しかし緩和ケアは進行してからだけではなく、がんと診断された時から本人や家族に対し必要に応じて行われるようです。

末期だから入る場所ではないのです。



【緩和ケアの代表的なケア】

痛みや吐き気の緩和
食欲不振時のケア
気分の落ち込みや孤独感など 心のつらさを軽くするケア 
…等


体力が戻った母には母自身で緩和ケア病棟とはどういう所か“知ってもらう為”ショートステイを勧められたのです。

担当医はこのショートステイを【体験】という言葉を使い母と話をしていました。

そして先生、看護士等 母と話をする時必ず腰を下ろし母と目線を合わせて話をしてくれました。

一般病棟では先生、看護士等は立ったまま話かける為患者を見下ろす姿勢になります。


こういう些細な事だと思っていた事が、とっても重要な事なのだと知りました。


母の緩和ケア病棟へショートステイは端から見たら“体調が悪いから入院”をすると捉えられる人が殆ど


介護のプロの人でさえ、ショートステイをする事を報告時返って来た言葉は

「元気に帰ってきますよう。。。」


いやいや「元気だから行くんですけどね。」と心でツッこんだ(失笑)


でもこれ当たり前なんだよね。


元気で入院する人なんかいないんだから、、、

癌に体が侵されているのだから健康ではないからね(^^;)


申し込み時 担当医が「緩和ケア病棟は誤解される事が多い」という言葉の意味を家族以外の母に関わる人からこれでもかってくらい思い知らされた。


病室は個室。母は音楽が好きなのでCDプレイヤーを持って行きました。

病棟からの母への対応は病院だからといって寝たきりにならないようにと、リハビリの先生がついてくれマッサージなどをしてくれたり

転倒が一番避けなければならない事なので、移動には必ず看護士さんがついてくれます。

また母の状態にあった歩行器と、夜のトイレまでの歩行は不安な為ポータブルトイレも病院に置いてくれました。

これはあくまで母の希望であり、夜もトイレまで行きたいと母が希望したら看護士さんはついてくれます。

1人までなら無料で病室に泊まる事ができ
複数の場合は家族室という一泊500円で利用する事ができる部屋がありました。


フロアには誰でも使えるキッチンがあり、お皿と調理器具も揃っていて
料理を作る事が出来ます。


病室が狭い場合はデイルームという、約8人で囲めるテーブルが8つくらいあり ここでみんな食事も談笑もしてもいいという場所がありました。

ピアノ、ベースもあった(笑)


ピアノ習っているお孫さんのピアノが聴けるのね。素敵だわ(*^^*)
※みどり心の声


「ここなら娘達や友達とゆっくり食事できるじゃーん」と母と話をしながらフロア散策をしました。


いわゆる病気を治す為にする入院をする場所ではない為、フロアを1人散歩している人もいたし

あのどんよりとした空気感と独特の病室の匂いがなかった。 


これは母がショートステイをした病院の内容なので、病院によって飲酒喫煙可だったり病院により緩和ケア病棟の在り方は様々です。


ただ緩和ケア病棟に入る為の大前提


【抗がん剤等の治療をしない人が入る場所】


これがあるから誤解が生じるように思うんだ。


中には本人の意志で抗がん剤治療を受けない人だっているでしょ?
  
だからといって病気と戦っていない訳じゃないよね?

諦めた訳じゃないよね?

“生きる為”に抗がん剤を拒否する人もいる。 


緩和ケア病棟は初期でも入る事ができる病棟なのだ。



治療をする

進行し治療の効果なくなる

緩和ケア病棟へ入る



この流れが決して一般的ではない



これを読んでもらう事で誤解に苦しむ人が少しでも減ってくれたら…と思う。


これを読んでもらう事でもっと早く知っていれば…と思う人が減ってくれたらと思う。



緩和ケア病棟は治療する病棟ではない



病人を病人扱いしない唯一の病棟なんだ



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言葉

「大丈夫?」


との問いには



「大丈夫」


と答えるしかできない



問いかける人の欲しい答えは




「大丈夫」



だから





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