妖怪
今日、結局仕事に行った。
休みは来週かららしい。
悲観的にもなってないし何もしないことの不安から解消されるから、別に嫌じゃなかった。
でも、今まで味わったことのないほどの胸の締め付けと吐気との戦いだった。
先日別れた彼女とは元々同じ会社だったから、たぶん知っている人もいたのだろう。
そう考えると、さらに強く胸を締め付けられた。
薬は医師の宣言どおり全く効果がなかった。
我慢に絶えず安定剤を飲もうとしたが、カバンに入っていなかった。
結局定時をかなりまわったところで、家路につき途中でほどほどに酒を飲んだ。
そういえば先日BARにいき、若い女性と話した。
まだまだあどけなく、言葉の数も少なかったが話を聞くのが上手な子だった。
長期休暇のすごし方など、ほどほどに話をしていると、面白い質問をしてきた。
もしかしたら苦し紛れの質問だったのかも知れない。
その内容とは
「妖怪っているんですか?」
一瞬耳を疑ったが興味深かった。
私の答えは明確だった。
「いる」
あくまで私の考えだが、
大昔日本がまだ山や川に囲まれていたころ
嘘をつく材料がなかった
その代わり近くにあっても知らないがたくさんあった
大人の男が知らない女と交わったら、狭い世間だしすぐばれる
大人たちは近くで見かけた狐のせいにした
子供が危険な沼の近くで遊んでいる
大人が危ないと言っても聞くわけがない
下手に叱れば好奇心をさらに加速させる
つまり逆効果だ
ならばそこに危険なものを住まわせればいい
足がぬかるみにはまっていくのも実は下に化け物がいるはずだと
嘘をつく材料がないから、自然の中に摂理をつくった
つまりそれが妖怪の正体じゃないのか
私が存在を疑わない理由がそこにある。
今は世の中が便利すぎる。
嘘をつく手段は数え切れないほどたくさんある。、
さまざまな道具を使いこなせば、ありもしない現実だって作り出すことだってできる。
だから妖怪はいる必要なくなってしまったから、姿を隠すしかなかったのかも知れない。
それを信じる純粋な心が昔は確実に存在した。
ともだち
前回の記事が書き終わるころ
親友から一本の電話が入った。
彼女とも仲がよかったし、こちらから電話をしなければいけない相手だった。
まず事実を伝えた。
すると友人が
「おまえの援助がなくなって、金銭的にキツイんじゃないのか?」
私は
「もし彼女が苦労したとき、私がしてきたことを思い出すことがあったら、人に支えられながら生きてきた
ことを思い出して、人に感謝できる人間になってくれたら嬉しい」
これに対する友人の言葉は意外なものだった。
「ばーか、そんなこと言ってるといつまでも未練がつきまとうぞ、もう他人様だ。好きに生きるさ。」
この男の言うとおりだ。
すかさず
「今週キャバクラでも行こう」というアプローチがきた。
10年前同じようなできごとがあったとき、同じように誘われた。
苦笑いと言うより、笑いがこみ上げてきた。
さらに最近言ったキャバクラや合コンの話をしてくる。
この男は20年前から何ひとつ変わっていない。
だから親友と呼べるのかもしれない。
一錠目服用。
欝 ~序章~
今日は本当にめまぐるしい一日だった。
うつ病という診断結果、長年連れ添った彼女との別れ、母親との会話、そしてブログの公開。
ブログをはじめるきっかけは、個人情報を晒して同情を買ってもらいたいわけでもないし、ましては沢山の読者に見てもらいたいわけでもない。
簡単に言うと明日から暇になるのだ。
失業したわけじゃない。
数ヶ月前から、長期の休暇をとったほうがいいという上司の勧めもあり会社側から7月からという申し出があった。
勤続年数が長かったことや実績を考慮した上で概ね決定していたが、便宜上診断書が必要だった。
同じ病気で苦しむ人たちは、うらやましいと感じる人もいるかも知れないが、不安で仕方ないというのが当人の本音である。
今日彼女と別れた。
もちろんこれも他人様からすれば、どうでもいい話だし、よくある話だが自分自身の欝を題材にする以上、あえて触れさせていただく。
まず彼女の口から出てきた言葉は、価値観の違いとお互いの家柄の違い。
相手の家は田舎のお金持ちで学歴や容姿にまで口をだす。誰の結婚式にどれだけの人数が集まってどれだけお金がかかっているのかを一番気にする。
都会に棲む人間には、到底わからない世界だが会ったことすらない親戚すら誘われることもあるらしい。
それも土地土地の文化だし、決して否定すべきことではない。
親から見れば娘を思うがあまり、当然のことだと思う。本人の意思もそうだが、新たに家族になる人物について気にしない親はいないだろう。
私の父親は、私の子供のころ仕事もせず母に暴力を振るった。
学生時代、私も悪さばかりしていたが、家に一人いる母親と小さな弟のことが気がかりで必ず夜になると家に帰宅した。
高校もろくに行かず問題視されていたが、家庭の事情ということで卒業までさせてくれた。
もちろん進学を考えることもなく当然のように仕事をした。
仕事をすれば、反骨心が作用し人と競争する職種であれば絶対に負けない自信があったからだ。
年齢を重ね大学に行かなかったことに後悔はしたが、自分より恵まれた環境で育ってきた人間に負けることはさらなる後悔を生むと考えていたから、絶対に負けなかった。
しかし30を過ぎたあたりから、その考え方が通用しなくなってきた。
調べる限り、胃がんや胃潰瘍に近い症状が出始めたのだ。
一日中口が渇き、胸が苦しく、嘔吐感が付きまとう。背中や腰に慢性的な痛みがあり、空腹時はみぞおちに鈍痛が走り、食後は数分持たず下痢をする。食後は夕方まで強烈な睡魔が襲う。
厄介なことに他人との会話ですら、大きなストレスを伴うのだ。
そんな生活が数年つづき
幾度となく胃、十二指腸、腸を隈なく調べた。
しかし全く障害がない。
今から1年前勇気を出して、心療内科にいった。
質疑応答が終わったあと、リーゼとポリフルを渡された。
リーゼを服用したところ、胸の痞えが一気に取れた。ポリフルに関しては、飲んでも飲まなくても一緒という結果だった。
しかし、それも長くは続かない。リーゼは服用を続けると効果が薄れ、午前中に服用すると強烈な睡魔に襲われ仕事どころの騒ぎじゃない。しかも習慣化すると効き目が弱まり、立て続けに服用してしまうため、夢と現実を交錯するような日常がはじまる。
結果的に飲まないほうがマシという状態が数ヶ月つづいた。
知人に病院を紹介され、大きな病院に救いを求めた。話した印象や見た目からも名医だと感じさせるベテランの担当医だった。
大病院だけに診察、処方箋と途方もない時間待たされたが粉薬をもらい、私なりの手ごたえを感じていた。
長期間服用したが飲むと楽になり、気持ちが安らいだ。
ただし、よくなる気配もなく飲まなきゃいられない体になった。
朝食を摂らない習慣があったため服用する時間帯が不規則だったり、午前中睡魔に襲われる副作用にも苦しめられた。
常に前向きな考えができなくなり不規則で仕事にも支障がではじめた。
しかし、昔取った杵柄か売り上げだけは、不思議と確保できる。
周囲から見れば、ただの怠け病だし、実際に病気に逃げていたのかも知れない。
しかし病状は暗転するばかりで、前回の精密検査から時間は経っているし、また体ばかり調べていた。
やはり異常はない。
思い切って、今日違う心療内科に行った。結果はうつ病。幼児体験が根本的な原因であり失恋など欝の原因にもならないらしい。ちなみに幼児体験が原因だということは、すべての医師が言っていたことだ。
信用できそうな若い医師だった。若い医者ならではの取り繕うような貫禄ではなく、とても心の芯が強そうな医師だった。
今までとは違う薬を渡してきた。
他の病院では、心の負担が和らぐ薬と過敏性腸症候群の薬が主だったが、今回もらったのは効き目は弱いが夜一錠毎日欠かさず飲めば必ず治る薬だという。
私の古い知人で、母親が針の開業医をしている人物がいた。そこでクランケにとっての医師に対する信頼と言える象徴的な言葉を聞いた。
「太い針を使えば、よく利くからお客がつく。細い針を使えば効果は高いが、お客はつかない。私が家族に使うのは細い針だ」
私はこの言葉を思い出し、戦おうという決心がついた。
そのあと彼女と会った。別れ話を聞くために。
先日1番を家庭の事情としていたが、結婚を考えられなかったことは、間違いなく私自身の問題でもある。
1年間はまるで働くだけの廃人だったのだ。
売り上げの結果という大名目があるから、見てくれはいい。ただ、仕事の中身が空っぽだったのだ。
そして、人間の中身も空っぽ。
ただ家に帰れば、現実から逃げることしか考えていなかった。向き合うこともしなかった。
彼女のことを愛していたし、家族だと思っていた。
別れるのは、とても辛かった。
しかし、彼女の年齢や結婚対象でない以上、それを受け入れることが精一杯の誠意だと思ったから、笑顔で送り出した。小さな背中が電車に吸い込まれるまで笑顔を作りつづけた。振り返ると同時に止まらない涙が妙に腹立たしかった。
長く一緒に生活をしてきたし、数え切れないほど喧嘩もしたが、もちろん今でも愛している。
今でも彼女に幸せになってほしいが、死んでも他人と一緒の花嫁衣裳は見たくないと思っている。
ただ、この歯車をもう一度合わせようとは思わない。
時に現実を受け入れなくてはならないこともあるし、この記事を書く意味もなくなるからだ。
やらなければいけないことの一つとして、結婚を楽しみにしていた母親に一本連絡をした。最初電話口に出たのは父親で相変わらず呂律がまわっていなかった。
母に代わってもらい。
そして、病気のことやその原因についても伝えた。
母は押し黙って聞いて、母にすべてを伝えるべきかも悩んだが、言うことを聞かないくらい口が滑らかにその全容を伝えた。
病気のこと、別れのこと。
でもこれは伝えなくてはいけないことだった。
事実、父親の存在が原因で妹の結婚が不意になったり、弟も進学をあきらめる経緯があったからだ。
実家にいる母に、「俺は行けないが、絶対に残った家族みんなで親父に伝えてほしい」と。
母は自分を責めていた。
「逃げちゃいけないね」
その言葉を聴いて本当に申し訳なくて涙が止まらなかった。
明日から、一ヶ月何をすべきかわからない。
しかし、これからの時間を無駄にしたくないから、病気や家族と真剣に向き合わなければいけない。
もちろん、根本的な課題である家族も助けなければ、この病気も完治しないのである。
まだまだ死ぬわけにいかない。