前回、私の勝手なお百度参りのイメージを披露しました。
それが以下の4つ。
①雨がざーざー降っている。100%降ってます。晴れてるシーンは皆無。
②必ず女性。男性がやってる映像は見たことない。
③なぜか小さい神社。大規模な神社では見たことない。
④お百度、って言ってるけど、100回っていうのは「たくさん」の例え
でもこれらは、映像を見た限りの私の勝手なイメージなので、
実際にはどうなのかな?
という話になるわけです。
まず①、100%雨。
天気なんだから、そりゃ晴れてる日でも、実際にはお百度踏みますよね。
雨の日を選んでやってるわけない。
ドラマや映画で雨にしてるのは演出ですよね…。
晴れてたら、健気さ、必死さ、懸命にやってる感が出ないから。
次に②の女性オンリー状態。
実態はどうなのか。
どうやって調べたらいいのかな…。新聞かなぁ。
という訳で、検討中。
女性が多いイメージではあるんですけどね。
しかし、それは近代のお百度のイメージかな。
中世まで遡ると、男性もお百度踏んでます(お百度参り(4))。
前近代と、近代とで、お百度は変化してるんじゃないか?
うっすら、そう思います。
その辺りの時代変化、浮き彫りにできる・・・か?
できない・・・か??
次に③の、必ず小さい神社。
小さい神社にもお百度石があるけれど、大きい神社(寺院)にもあります。なので、天気と同様、これも演出の要素が大きいですね。
なるべく目立たない、近所の、小さな神社仏閣でやるのが、健気感の演出には良いのだと思います。
地味感、ひっそり感。
でも、大きい寺院・神社でやると、お百度石(スタート地点)から御堂まで、距離が長いから100往復するのは大変!
実際には、大きな神社仏閣の方が、体力・根性を要するのは間違いない。
次に④の100回はたくさんの比喩。
これは完全に私の思い込みでした
私みたいに、大雑把な人間にはマジで想定外だったのですが、きっちり100回数えていました!
(誤差はあったかも知れませんが)
素人くさいミスで申し訳ない~(汗)
↓これは、練馬区の氷川神社にあったものです。
↓これは埼玉県浦和市の調神社にあったもの。
鱗のようにびっしりと木片が100枚、埋め込まれています。
この木片、触ると分かるのですが、向きを変えられるんです。
本殿でお参りしたあと、この木片の向きを、1枚ずつペラっと向きを変えていけば良い、という優れものです。
お百度盤(木片タイプ)以外だと、数取(そろばんタイプ)もあります。
↓こちらは長野県の善光寺
おそらく、鳥居(もしくは百度石)からスタートし、お参りする。お参りが終わって、鳥居に戻るその前に、木片の向きをペラっと変えたり、珠を1つ移動させたりして、数を数えていく。
いいね~。
そうだよね。
だって、あんなに一心不乱にお参りしてたら、数なんて数えられないもん。
上記のような小道具がない神社やお寺では、境内にたくさんある小石を置いていけば、まぁ数えられます。
ほかには、百度紐といって、100本の紐を使う場合もあります。
しかし、私のようなうっかり者は、たとえ優れた小道具があったとしても、
木片の向きを変えるのを忘れたり、
珠を移動し忘れたりします。
自信をもって言えます。私なら「必ず」数え損ねます。
私のような人間が、少数ながら絶対いるので、
これで完璧に100を数えられる! とは言いきれないんですよね…。
なので、誤差はあったかもね、という条件付きなのです。
もちろん、しっかりした真面目な人は、大丈夫。
きっちり100回、お参りできます。
でも、歴史を紐解くと、百度だけじゃなくって千度も万度もあるんすよ。
これもいずれ、ご紹介します。
さしあたりは、お百度参り(3)へ