1889.3.9 新世界の停止・発行停止頻りなり
一方、3月に入ると発行停止処分を受ける新聞や雑誌が出てきます。
まずは右側の『新世界』。
記事にあるように、隔月発行の大坂の雑誌『新世界』が「其筋」から発行停止を受けています。
また、次の記事を見ると、すでに『東京公論』が発行停止処分になっており、
その処分が解けたばかり、とあります。
にもかかわらず『朝野新聞』『絵入朝野新聞』『日本人』『新世界』の新聞・雑誌が発行停止処分をくらったわけです。
どの記事によって発行停止になったのかはわからないけど、と前振りしつつ、
①憲法に対しての「不穏当の評論」
②西野の凶行を「称揚し、刺客の害毒を奨誘するがごとき詩」を掲載したこと
これらは治安を害すること甚だしいという判断に基づき、発行停止となった
…と聞いたわけです。
「その筋」からの情報でしょう。
最後、「慎むべし、我も人も」と自戒の言葉で結んでいます。
『朝野新聞』は明治7年発行の、民権派の新聞。ここの成島柳北や末広鉄腸は讒謗律や新聞紙条例に抵触して投獄経験アリです。明治11年、大久保利通暗殺事件の後、犯人グループの「斬奸状」を記事にして唯一の新聞です。これで5日間の発行停止処分を食らいましたが、激しいです。
『絵入朝野新聞』は明治16年発行の小新聞。タブロイド判みたいな感じ。この年の5月には江戸新聞と名が代わり、さらに東京中新聞、中央新聞とたびたび名を変えます。
『日本人』は三宅雪嶺が作った雑誌で、のちに『日本及び日本人』に変更されました。国粋主義な雑誌で有名です。
発行停止処分をくらうような記事ってどんな内容?
と気になりますが、
いずれも具体的な紙面は、自宅で気軽にWebでは見られない感じなので、
そのあたりが推測できる『ベルツの日記』同年3月19日条を見てみましょう。
3月19日(東京)
憲法で出版の自由を可及的に広く約束した後に、政府はすぐその翌月、5種を下らぬ帝都の新聞紙の一時発行停止を、やむを得ない処置と認めている。それは、これらの新聞紙が森文相の暗殺者そのものを賛美したからである。それどころか、詩を作って、西野の予定した第二の犠牲者芳川がまだ生存しているのを遺憾とするという意味が述べてあった!
このように、西野は森有礼だけではなく芳川顕正をも殺害する予定だったこと、
そして発行停止になった媒体は、西野の意思を受け継ぐよう(つまり芳川も殺せと)世間に促したことがわかります。
ベルツさんの日記が事実なら、発行停止もやむを得ないかと。
芳川顕正は事件当時、内務次官。
それ以前には1882-85年の3年間東京府知事でした。
阿波出身なので藩閥政治のなかでは苦労したようですが、
のち、山県有朋の側近として活躍します。
なぜこの人物が西野に狙われたのでしょうか。
そもそも、西野が芳川を狙っていたということは事実なのでしょうか…。
そして、上記のような記事と比較すれば、確かに朝日新聞はまともです。
ちゃんと慎んで記事を書いてます。