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  1889.3.2 西野文太郎の招魂碑

そして、いよいよ西野を本気で礼賛しようとする人々が現れます。

 

 

伊勢山田の人々が西野の招魂碑の製作を協議中との記事です。

 

伊勢山田といえば伊勢神宮のお膝元。

伊勢神宮を思って西野は凶行に及んだのですから、

西野礼賛の気持ちが強いのも無理からぬ地域と言えるかもしれません。

 

あるいは、谷中まで墓参りしたくとも、地方であるため、それができないもどかしい思いがあったのでしょうか。

 

魂を招くと書いて「招魂」。もっと具体的には、

幕末から明治にかけての動乱の時期、国を思うあまりの行動によって落命した人々を祀る、近代的な神道の祭礼です。

手段の正否に関わらず、国を思うあまり、討幕に命をささげたとか、外国人を殺害したとか、そういう人々を御霊として祀るわけです。

基本的に、旧幕府側で落命した人は祀りません。

靖国神社も、もとは東京招魂社という名前でした。

 

つまり西野の招魂碑を作るということは、彼を英雄視していることに他ならないのです。

しかし、これは中止になったという記事が継の新聞記事にありました。

 

  1889.3.16 招魂祭停止せらる

 

招魂碑から招魂祭に微妙に変わってますが、気にせず読みましょう。


3月10日実施予定だったけれど、「その筋」からの差し止めによって中止になったというわけです。他の新聞社も「その筋」という表現なのか、気になってきましたが、気にするだけにしておきます。

最後、「おジャンとなりし」という言葉がグーOK

「お」が平仮名で「ジャン」がカタカナハート
やはり『日国』を確認しましょう。

「おじゃん」
物事が不成功に終わること。駄目(だめ)になること。
*歌舞伎・伊勢平氏梅英幣〔1820〕序幕「七十両のあの金を、中間の市助が失うたと

 云ひ出して、ざっと相談、おぢゃんとなられた」
*家〔1910~11〕〈島崎藤村〉後・八「折角、よい口があって、その店へ入るばか

 りに成ったところが…広田が裏から行って私の邪魔をした。その方もおじゃんで

 さ」

初出は江戸時代後半の歌舞伎なんですね。
ちなみに『日国』によれば、「おじゃん」の語源は火事が起こったことを知らせる半鐘の「ジャンジャン」から来ているとのことです。
 

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