人が他人のなにかを知りたがり、探ろうとする、
それは全く以て、
ただの我欲に過ぎない。
わからない事を知りたいと思うのは悪いことではないけれど、
それが、我欲のために人を利用するのに必要だから探るというのは頂けない。
たとえば、
私の幼馴染みは、いわゆる霊感保有者で、霊視や透視が出来ますが、
占い師として生計を立てているわけじゃなく、
普段は普通の会社員をしています。
占い師としては全く活動などしていません。
基本的に視ようとはしません。
視えた時に必要とあらば伝えてくれるだけ。
もちろん金は取らない。
霊感があることさえ、その必要と判断された時にしか、人には言わない。
だから、
私も彼女に霊視や透視ができる能力があることなど、
その時までまともに知りませんでした。
この彼女の話は、
はるか前にブログに書いたことがありますが、
いわゆる彼女みたいな善意の能力者を、
何とかして探して、安く視てもらいたい、あわよくばタダで視てもらいたいなどと考える、
欲深い輩どもが、たくさんいるわけです。
こういう輩どもは、
決まって他力本願で、人を自分の意のままに動かしたいと思っていたりするわけです。
彼氏なり、元彼なり、ダンナなり、親なり、友人なりを、
自分の願う方向に動かしたいわけです。
相手の考えや思いなどお構いなしに。
我欲のために、探す。
探して、
術をかけてもらおうとか、
色々。
悪いけど、死んでも教えるつもりはないよ。
彼女曰く、
「自然に視えたものしか視えない。視ようとして視えたものは曖昧過ぎる。自然に視えたものに90%以上の自信がなければ、口にも出さない。だから占い師とかにはならない。わざわざ視ることはしたくない」
のだとか。
私は彼女の霊視や透視に助けられ、
彼女のおばあちゃんに命を救われたようなものです。
がしかし、
彼女曰くそれは、
「必要だったから神様がそのタイミングで再会をさせてくれたんだね」
と。
私もそう思います。
言っておきますが、
生き霊飛ばしや、送念や魔術や祈願祈祷や縁切り縁結びなんてのは、
しないでおきましょう。
縁がなきゃそこまで。
縁があれば、また何かしらの関わりがある。
恋人や夫婦だからと言って、良縁とは限らない。
むしろ、
良縁じゃない率のほうが、遥かに高い。
とにかくさ、
占いにやたら依存するとか、
魔術やらおまじないに必死になるとか、
やめときなよ。
無駄無駄。
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