遠州入門―浜松市 チョンボ山のタヌキ
◆昔 昔の話
横須賀の村(今の浜松市浜名区横須賀の辺り)に
チョンボ山という変わった名前の小高い山があった
山と言っても周囲は100mほどの広さしかない山であった
そのチョンボ山に主のように何年も住み続けている
年老いたタヌキの夫婦がいた
子供が
「山の中で遊んでいるとタヌキが突然出て来てビックリした」
と親に話すと
「自分の子どもの頃にも山で見かけた」
と話したほどであった
タヌキが若い頃は山だけではなく村のあちこちに出かけて来たそうである
「昔からタヌキは人を化かすというが悪気のない悪戯は可愛いもんだ」
と村の人々は仲良く過ごしていた
ある日のこと 年老いたタヌキ夫婦はため息をついた
「もう何日も食べていない」
「腹がすき過ぎて動けん」
山の上から麓を見るとお百姓夫婦が近づいてくるのが目に入った
「あの百姓夫婦毎日朝早くから日が暮れるまで麓の田んぼで働いている
きっと今日も弁当を持っているはずだ 申し訳ないが
久しぶりに化けて昼飯をいただくことにするか」
昼時になりお百姓夫婦がお弁当を広げた時タヌキは
葉っぱを頭に乗せて和尚さんに化けた
「お百姓さん精が出ますな 見事な仕事ぶりです」
突然出て来た見知らぬ和尚が歯の浮くような言葉をかけてきた
お百姓夫婦は山に住むタヌキが化けたのかと
疑ったものの悪い気はしません
「ありがたいお言葉 和尚様 何かご用でしょうか」
「こう見えてもわしは名高い旅の僧だがどうやら道に迷ったらしい
すまんが食べ物を分けてくれんか」
お百姓夫婦は顔を見合わせるとタヌキに気付かれないように吹き出した
初めて会う和尚が自分は立派だと自慢するのはおかしいし
和尚の後ろにタヌキの尻尾がしっかり見えていた
お百姓はニッコリ笑うと
「口に合わないかもしれませんがどうぞお食べください
修行を重ねてさらに立派になって下さい」
とおにぎりを渡した
この日からタヌキ夫婦が住んでいる山を
「チョンボ山」と呼ぶようになったようである
その理由は明確である
(^。^)y-.。o○
bye-bye (>_<)
江戸の「ことわざ」面白講座(108)
《江戸っ子の文化》
◆鰯の頭も信心から
イワシは戦国時代から最も漁獲量の多い魚であったが
それでも京都などの都会では高価で
イエズス会宣教師フロイスは祭日にしか食べられないと言っている
しかし 江戸前期には肥料の干鰯(ほしか)にされるほど獲れ
「鯛」の対極にある身近な下魚となった
このことわざはイワシの頭ののように煮ても焼いても食えぬ
つまらないものでも一旦信仰の対象にしてしまうと
尊い神仏同様ありがたく思えるということである
信仰を迷妄としそれに没入する人や態度を批判的に見ている
信仰においてしばしば知識・理性を受け付けず
信仰しない人にとって理解しがたいことが真剣に行われる
ことわざには合理的な批判精神が込められたものがあり
これもその一例といってよい
信心を批判することわざに「鰯の頭」が持ち出されてのは
節分の時イワシの頭を焼いてヒイラギの枝に刺し戸口にかかげる
ヤイカガシの風習が広く行われていたのに関係がある
イワシの頭は悪臭によってヒイラギは葉にあるトゲによって
邪気を追い払うと言われている
この場合は俗信であって信仰ではない
江戸時代の人は神仏でも利用できるものは気軽に利用した
(^。^)y-.。o○
bye-bye (*^^)v