爺さんの徒然日記 -7ページ目

富士宮「奇石博物館」

9月28日は石好きの「ゆっち」の請願により

仕事で行けないお父さんを残し

富士宮にある「奇石博物館」へ6人で行って来た

 

駐車場に車を止めて早速博物館へ

外部は恐竜がいたり展示物があったりで

早速近付いて行く「しょっち」

 

大人一人700円 小学生一人300円 

幼児無料の入場券を購入

この入場券も凝っていて面白い

 

中に入るといろいろな種類の石が展示してあり

とにかく厭きない その中を動き回る「しょっち」

足を止めたのはやはり「恐竜」の化石

 

 

光る石の展示も一部屋あり 

真っ暗な中で光る石も沢山あった

 

お昼ご飯を食べた後は
15分ほどのところにある白糸の滝によることにした 
数年前に来た時とは随分様子が変化していて
滝までの道やお店が綺麗に整備され観光客も沢山いた
 
皆は腹ごなしに白糸の滝までウォーキングしたが
バテ気味の小生は上の公園で一人待機
 
孫達が喜んでくれていい旅 いい一日だった
 
(^。^)y-.。o○
 
bye-bye  (*^^)v

遠州入門ー浜松市 神久呂のやまんば

◆昔 昔の話 

 

 

神久呂の里(今の浜松市中央区神久呂地区の辺り)

の近くの山にやまんばが住んでいた 

 

 

赤い顔で口は耳まで裂け灰色の髪が肩の辺りまで伸びていた 

普段はニコニコ笑っているが鋭い目つきで睨まれると

大人でも腰を抜かす迫力があった 

 

里の誰かが死ぬ日に限って山奥から出てくるやまんばは

夜の闇の中を駆け回ると言われていた 

夜遅く家の外で物音がすると

「やまんばが来てうちの誰かが死んではかなわない」

とビクビクする村人もいた 

 

親の言うことを聞かずにぐずる子に

「いつまでも泣いているとやまんばが来るヨ」

と言うとおとなしくなったそうである 

 

 

ある夜のこと 街に出かけて帰りが遅くなった若者が

神久呂の家を目指して急いで歩いていた 

「辺りは真っ暗だ おまけに雨まで降って来た 

機嫌の悪いやまんばに出会い睨まれたらぶっ倒れるらしい 

何かあったら大変だ」

すると後ろの方で足音が聞こえて来た 

どこまでも続くので怖くなって駆けだした 

あんなに続いていた足音がようやく聞こえなくなったか

と思っていると目の前に杖を突いたやまんばが立っていた 

雨に濡れたやまんばの目つきは優しくひどく疲れているようだった 

若者が恐る恐る声を掛けると遠くの里まで歩いて行くと教えてくれた 

「雨の中今夜は諦めた方が良い 

歩くのも辛そうだから神久呂までおぶってやるよ」

と声を掛けやまんばを背負って歩き出した 

 

神久呂につくとやまんばがお礼にお嫁さんの世話をすると言いだした 

家に帰った若者がお嫁さんの話をすると

やまんばの悪い噂ばかり聞いていた村人たちは大騒ぎとなった 

仏様にすがるしかないとお経を唱えることにした 

 

次の日の夜 村人が集まってお経を唱えていると

突然大雨が降り出し若者の家に雷が落ちた 

「やまんば お経はやめるから許してくれ」

と叫ぶとすぐに静かになった 

ふと座敷を見ると綺麗なお姫様がいた 

若者とお姫様は末永く幸せに暮らしたそうである 

 

そしてこの日以来やまんばの姿を見た者はいないという

 

(^。^)y-.。o○

 

bye-bye  (*´ω`*) 

江戸の「ことわざ」面白講座(107)

《江戸っ子の文化》

 

◆急がば回れ

 

 

これも前回に続き旅に関することわざで

目的地へ急ぐ時は少し遠回りになっても

安全で確実な道を行けということである 

 

 

室町時代半ばの連歌師宗長が詠んだ

「武士(もののふ)の矢馳(やばせ)は早くとも急がば回れ瀬田の長橋」

という歌による 矢馳は東海道草津宿に近い今の滋賀県草津市矢橋で

早くから琵琶湖南端の瀬田川河口沖を横断して大津へ渡る船が出ていた

海路ならば陸路の半分近い6キロ程度の距離であった 

しかし風向きによっては進まなかったり最悪の場合には船が転覆した 

ずっと遠回りになるが陸路で瀬田の唐橋を歩いて行く方が

安全で確実であるということ 

 

 

江戸時代になるとこのことわざは広く知られるようになったが

矢馳・大津間には渡し船が相変わらず運航されていて

「急がば回れ」の教訓は無視された

多分に船も室町時代のものより安全性が増したのではないかと思われる 

 

 

東海道では宮・桑名間の「七里の渡し」があり

一番大きな船は五十三人乗り船が約四時間かけて定期的に行き来していた 

「急がば回れ」ではなく船旅の嫌いな人が陸路を行った 

 

 

そして「急がば回れ」は旅のノウハウから離れて

あらゆる生活の場面でで迂遠でも安全・着実な方法をとれ

という戒めに生かされるようになった

 

(^。^)y-.。o○

 

bye-bye  ( ;∀;)