22時のニノイ アキノ国際空港は4月だというのに南国独特の湿った生あたたかい空気に包まれていて、空港内のショップも無機質なシャッターで閉じられていた。壁はコンクリートに白色のペンキを塗っただけで、ところどころはげていた。
初めての海外がフィリピンで、しかもこれから最大1年間この国に住むのかと思うと不安が募ったが、まずは学校が手配してくたバスまでたどり着かないことには何も始まらない。何しろここはアジアで最も危険な都市で、空港内でも、まず第一に空港職員が信用できないらしい。
僕は足早に入国審査のレーンに行くと、日本人らしき人が並んでいる列に並ぶことにした。
「入国審査に必要な紙の内容はこれでいいんですか」
目の前のお兄さんに聞いてみた。
マニラは危険な都市で空港ですら用心が必要だけど、本当に危険なのはマニラにいる日本人。
そんなインターネットで得た知識も僕の不安の前にはどこか行ってしまい、ちょっとあやしい前の日本人に声をかけてしまった。
「大丈夫だよ。君、フィリピン初めて?どうしてフィリピンに来たの?」
入国審査の用紙は大丈夫だと聞いて安心したが、”危険なマニラの日本人”の不安が今度は襲ってきた。
それでも、その人は親切で、僕が持ってるA4の紙にプリントアウトされたバスの待ち合い場所まで丁寧に案内してくれた。
僕はその人の名前も聞いたが、今となってはすっかり忘れてしまった。
黒いニット帽に薄い黒色のサングラスのそのお兄さんは、フィリピン人の奥さんの兄弟が運転してきたというカスタムされたシーマで、それじゃ、といって行ってしまった。
僕は語学学校のスタッフと他の生徒と一緒にそこでバスを待ったが、どうやら日本人は僕だけらしい。僕以外は全て韓国人だ。
そもそも僕は初対面では内気だし、ましてこれから語学学校で英語を学ぼうとするくらいの英語力で他の韓国人と会話することもできない。語学学校までは寝ていけばいいだけだ。
僕はバスに乗って窓の外を見ながら、すでに日本にもあるものを探すことで、無意識に不安を消そうとしていた。スターバックスやマクドナルド、セブンイレブンなどがハイウエイ沿いのガソリンスタンドに隣接してあり、見つけるたびにまだ大丈夫だと自分に言い聞かせた。
僕が選んだ語学学校はマニラからバスで6時間ほどかかるバギオという山岳都市にあり、その涼しい気候と街の安全性から迷いなく決めた。
途中、何度も目が覚めては外の景色を確認していたが、段々田舎の風景になるにつれ不安が増した。
道路沿いには日本にも昔はたくさんあったドライブインが真夜中でも営業していて長距離バスが何台もそこに停車していた。
僕はドライブインの前にうろついていた野良犬に目がいった。
いや、野良犬か飼い犬かはわからないが日本の感覚では明らかに野良犬でアバラが浮き出ていた。
その犬が当たり前のようにうろついていて、誰も見向きもしない。
僕はこの犬を見た時に、初めてはっきりとフィリピンに来たんだとやけに実感した。
ああ、ここはフィリピンで日本とは違う途上国で、僕はここで少なくとも半年は暮らすんだ。
僕は覚悟を決めて、暗闇を疾走するバスのなかで再び目を閉じた。
フィリピンの語学留学でまず真っ先に思い出すのがこの初日の不安です。どうしてそこまで不安だったのかはわかりませんが、当時の僕は、それなりに必死な思いで英語を勉強しようと思っていたのでした。